本願発明は、耐摩耗性の要求される基材表面に被覆する皮膜であり、高い皮膜硬度と潤滑性を兼ね備えた皮膜に関する。
被覆材料として硼化物の技術を開示した特許文献1から3、非特許文献4が挙げられる。
特開2006−26883号公報
特開2002−263913号公報
特開平5−195199号公報
A.Garcia−Luis、M.Brizuela et al.、Surf.Coat.Techol、200(2005)734−738
本願発明の目的は、高い皮膜硬度と潤滑性を兼ね備えた皮膜を提供することを課題とする。特に、本願発明は皮膜硬度と皮膜の潤滑性を兼備させるために、積層構造の最適な条件を検討した結果として生まれたものである。
本願発明の基材に被覆される皮膜は、A層とB層の積層で、該A層は金属硼化物で、金属はAl、Si、Cr、W、Ti、Nb、Zrから選択される1種以上、該B層は炭素を含有する層、該A層と該B層は夫々50nm以下の層厚の積層構造、該A層の平均層厚をTA(nm)、該B層の平均層厚をTB(nm)としたとき、TB/TAの値がTB/TA≦0.6、該A層は六方晶の結晶構造、であることを特徴とする皮膜である。上記の構成を採用することによって、高い皮膜硬度と潤滑性を兼ね備え、優れた耐摩耗性を発揮する皮膜が得られる。
本願発明の皮膜は、高い皮膜硬度と優れた潤滑性を同時に併せもった皮膜であり、その結果として、使用時に良好な潤滑性が発祥されつつ、格段に優れた耐摩耗性を示す。例えば、工具に被覆することにより、突発的なチッピングや異常摩耗が抑制され、工具の耐久性、工具寿命を格段に改善することができる。
本願発明の基材に被覆される皮膜は、A層とB層の積層で、A層は金属硼化物で、金属はAl、Si、Cr、W、Ti、Nb、Zrから選択される1種以上である。B層は炭素を含有する層である。例えば、Ti硼化物とSi及び/若しくはW炭化物を積層することにより、Ti硼化物の酸化開始温度が約600℃であるのに対し、800〜900℃まで上昇する。この場合には皮膜硬度、潤滑性に加え、耐酸化性をも付与することが出来る。Ti若しくはCrの硼化物に少量のAlを添加したTiとAlを含む硼化物や、CrとAlを含む硼化物、Si、W、Ti、Nb、Zrから選択される1種以上の炭化物を用い、TB/TA≦0.6とすることにより、硬度、耐酸化性、潤滑性が向上し、優れた耐摩耗性が得られる。本願発明の好ましい形態は、A層としてTi又はCr、B層としてSi又はWを含む皮膜である。更にこれに、Al、Nb、Zrから選択される1種以上の元素を添加することにより、耐摩耗性の改善効果が顕著に現れる。製造方法としては、例えばTi、Cr、Zrから選択される1種以上の硼化物ターゲットとSi、Ti、Wから選択される1種以上の炭化物ターゲットを用いることができる。金属元素を含有しない場合に比べて結晶性が向上し、高硬度で潤滑性に優れる耐摩耗性が得られる。また、B層の生成のために炭化硼素(B4C)ターゲットを用いる場合、皮膜硬度の低下を最小限に抑えることが出来るため、TB/TA値を高めることが出来、硬度と潤滑性の相乗効果が高く、耐摩耗性を更に改善することが出来る。本願発明における皮膜のA層は六方晶の結晶構造を有する。六方晶の構造の(001)面に最大強度を有することが、皮膜の微細化による耐摩耗性改善の観点から好ましい。また、六方晶の構造を主体とし、その他の相として非晶質相を含んでも良い。本願発明の皮膜は、A層とB層が夫々50nm以下の層厚で層厚方向に積層した積層構造を有する。ここでA層とは、皮膜内の広範囲領域、例えば任意に選択される1μm2の硼素含有量に対して、50nm以下の層厚を有する層のうち相対的に硼素含有量が多い層を意味する。同様にB層とは、皮膜内の広範囲領域、例えば任意に選択される1μm2の炭素含有量に対して、任意に選択される、50nm以下の層厚を有する層のうち相対的に炭素含有量が多い層を意味する。言い換えれば、本願発明の皮膜は、相対的に硼素の含有量の多い硼化物層であるA層と、相対的に炭素の含有量の多い硼化物層であるB層とを含む積層構造を有している。
本願発明の皮膜は、単純に硼化物と炭化物を夫々一定膜厚以下で積層した皮膜とは異なり、硼化物を主体とした皮膜が六方晶の結晶構造を有した状態で、A層とB層が夫々50nm以下の層厚で層厚方向に積層した積層構造を有する。更に、TB/TA値がTB/TA≦0.6、である。これにより、硼化物の結晶構造を有し、高硬度を有した状態で、B層による潤滑性が付与されることとなり、耐摩耗性はより格段に改善する。本願発明の効果を得るには、以下の2点を同時に満たすことが重要である。第1の点として、A層とB層が夫々50nm以下の層厚で層厚方向に積層した積層構造を有した状態に制御する必要がある。A層とB層の層厚が夫々50nmを超えると、硼化物の脆く潤滑性に乏しい特性とB層の低硬度特性が強く現れ、高い皮膜硬度と潤滑特性を併せ持った皮膜は実現できない。A層の層厚が50nmを超えると硼化物の脆性が現れ、皮膜の自己破壊が進行する。一方、B層の層厚が50nmを超えると皮膜が六方晶の結晶構造を維持できなくなり、硬度が急激に低下する。これらのことから、A層とB層が夫々50nm以下の層厚で層厚方向に積層した積層構造を有した状態に制御することが重要である。第2の点として、TB/TAの値をTB/TA≦0.6に制御することが同時に重要である。平均層厚のTA値、TB値は、本願発明の皮膜のうちA層とB層のうち少なくとも夫々5層の平均値として求めた層の厚みである。先の第1の点を満足してもTB/TA値が0.6を超えて大きくなると結晶性が悪くなり、六方晶の結晶構造を維持できなくなり、皮膜硬度が急激に低下し、硼化物の高硬度特性が失われる。このように、A層の高硬度特性とB層による潤滑性の改善を両立するには、夫々の層厚及び層厚比を同時に制御することが極めて重要であり、これらを制御した本願発明は、格段に優れた耐摩耗性が得られる。本願発明の皮膜が高硬度で潤滑性に優れる要因は、A層の高硬度と、それに対応して適性値の範囲で存在するB層の自己潤滑作用の相乗効果によるものである。これらの相乗効果として結果的に優れた工具寿命が得られる。A層とB層の層厚を夫々1〜20nmの範囲に制御することが、皮膜硬度と潤滑性のバランスを最適化するために好ましい。特にA層の範囲が5〜20nm、B層の範囲が1〜10nm、TB/TA≦0.6、とすることにより、皮膜の硬度低下を最小限に留めることができ、同時に潤滑性が付与され、膜全体として一段と優れた耐摩耗性が得られる。更に好ましくは、TB/TA≦0.3、とすることにより、硬度と脆性のバランスが最適であり、最適な残留圧縮応力範囲に制御して、工具寿命の長寿命化に有効である。好ましい残留圧縮応力の範囲は、1〜5GPaである。その理由は、残留圧縮応力が1GPa未満の場合、断続的な衝撃が発生する工具等の過酷な使用環境化において、皮膜にクラックが発生し易い傾向にあり、5GPaを超えると耐剥離性が低下し、密着強度が低下する傾向にあるからである。更により好ましくは、TB/TA値の下限値を0.05として、0.05≦TB/TA≦0.3とすることである。この理由は、0.05未満の場合、潤滑性が低下する傾向にあるからである。
本願発明の皮膜のD値(nm)は、D≦50、であることが好ましい。このD値は皮膜の断面における結晶粒子の面積を、円の面積として置き換えた場合の直径である等価円直径として求めた値である。D値が50nmを超えて大きくなると皮膜硬度が低下し、耐摩耗性が低下する傾向にある。一方、D値の下限値は、数nmでも耐摩耗性を改善することが出来る。好ましくは、5≦D≦20、であり、これによって皮膜硬度化と潤滑性の改善に効果的となる。
本願発明の皮膜は、走査型電子顕微鏡による破断面観察において、皮膜の成長起点から表面に向かって連続した柱状晶が存在しないことが好ましい。ここで成長起点とは、皮膜の成長開始点であり、基材表面に被覆する場合は、基材と皮膜の界面に相当する。中間層を用いる場合は、皮膜の成長開始点である中間層と皮膜の界面に相当する。皮膜の成長起点から表面に連続した柱状晶が存在すると、柱状結晶の界面を介して皮膜の外部から酸素が皮膜の内部へ拡散し易くなり、耐酸化性が低下するため、好ましくない。破断面組織の制御することによって、A層とB層間との剥離を格段に低減でき、耐摩耗性を改善することが出来る。ここで、走査型電子顕微鏡による観察とは、電界放出型走査型電子顕微鏡(以下、FE−SEMと記す。)による観察が好ましく、その破断面組織を観察する条件は、加速電圧5kV、試料電流10μA、倍率を10k倍で観察した時の破断面組織を観察することにより、本願発明の皮膜の特徴、及び皮膜の成長起点から表面に向かって連続した柱状晶の有無を確認できる。
本願発明の皮膜のX線回折における(101)面のW値(度)が、W≧1.5、であることが耐摩耗性の改善に好ましい。W<1.5の場合、皮膜の硬度が低くなる傾向にあり、皮膜全体として耐摩耗性が低下してしまう。一方、W値の上限値は特に限定するものではないが、W値の上限値は、5.5まではその有効性が確認できた。W値は、X線回折装置を用い、管電圧120kV、管電流40μm、X線源Cukα、X線入射角5度、X線入射スリット0.4mm、2θを20〜90度により測定し、確認することが出来る。X線回折における半価幅の制御は、TB/TA値により制御することができる。即ち、TB/TA値が大きくなると半価幅が増大する傾向を示し、TB/TA値が小さくなると半価幅が減少する傾向を示す。また半価幅の制御は成膜時のパラメータによっても制御することができる。特に基材に印加するバイアス電圧は、80〜140Vの負バイアス電圧を印加することが好ましい。
本願発明の皮膜と基材との界面にTi、Cr、Al、Si、Nb、W、Zrから選択される1種以上の窒化物を被覆することが好ましい。ここで窒化物とは、窒化物の他に、酸素、炭素、硫黄、硼素等を非金属元素に対する原子比で5%未満を含んでも良い。また、上記の窒化物から選択される2層以上被覆することもできる。これにより、優れた耐摩耗性と潤滑特性を有し、切削工具等の過酷な環境下における使用にも耐え得る。また、基材との密着強度が向上する。特に、(AlCr)N、(AlCrSi)N、(AlCrTi)Nからなる窒化物層と本願発明の皮膜を組み合わせることにより、900℃以上で使用される酸化が進行し易くなる摩耗環境下においても、基材の酸化を抑止することができ、本願発明の皮膜の特徴との相乗効果が得られる。例えば、(AlCr)Nの上層にTi、Siを含有した本願発明の皮膜との組み合わせが挙げられる。
本願発明の皮膜を耐摩耗性の要求される工具表面に被覆することにより、工具の耐摩耗性を格段に改善することが出来、皮膜を被覆した工具は、長寿命化をはかることができる。例えば切削工具の場合は、その表面に被覆することにより、本願発明の効果が顕著に確認できることから、最も好ましい。切削工具の中でも、特に高硬度鋼の切削加工、及び非鉄加工用に用いる切削工具が特に好ましい。ボールエンドミル、多刃エンドミル、インサート、ドリル、カッター、ブローチ、リーマ、ホブ、ルーター、等への適用が好ましい。金型、パンチ等の工具においても本願発明の優れた耐摩耗性を発揮することが出来る。工具基材は、超硬合金、サーメット、高速度鋼、立方晶窒化硼素焼結体、ダイス鋼等が好ましい。超硬合金の場合、Co含有量は、3〜12重量%以下が好ましい。Coが3%未満では、突発的なチッピングや切れ刃の欠損が生じる場合がある。一方、Coが12%を超えると、被覆効果が薄れ好ましくない。
本願発明の皮膜は、残留圧縮応力を有する、例えば物理蒸着を採用することによって被覆される。皮膜の残留圧縮応力は、摩耗環境下において微細クラックの進展を抑制する効果を発揮するものの、同時に皮膜が剥離又は破壊し易くなる欠点を有する。特に硼化物と炭素とを有する皮膜は、高硬度を有し、残留圧縮応力が過大であり、皮膜剥離を起こし易い。そこでA層とB層を積層し、その厚さ及び比率を制御する。これにより、皮膜内の特にB層で残留圧縮応力を緩和して、高硬度で靭性が高くなり、工具等の過酷な使用環境化においても摩耗し難く、クラックの発生を抑制出来る。この理由から、本願発明の皮膜は、高硬度と潤滑性に加え、B層での残留圧縮応力の緩和の相乗効果により剥離を低減し、耐摩耗性を改善して、効果的に基材損傷を抑制することが出来る。更に、本願発明は、硼化物皮膜の硬度を維持しながら、脆化の抑制を図り、更に潤滑性を付与して、全体として耐摩耗性を改善することを目的とする。その結果、A層とB層を相互の平均層厚の関係で見たときに一定の条件で限られた積層構造に制御すること、及び皮膜の結晶構造が特定の場合のときに、格段に優れた耐摩耗性が得られることを見出した。今までの技術課題は、皮膜の硬度、並びに潤滑性が十分ではないことから、突発的なチッピングや異常摩耗が発生し易く、耐摩耗性が十分ではない欠点を有すること、特に皮膜に潤滑性を積極的に付与して硼化物皮膜の硬度と潤滑性を同時に改善することはなく、耐摩耗性の改善には限界があった。また、硼化物皮膜は高硬度であるが極めて脆いことから、基材との密着強度に乏しく剥離しやすかった。同時に、潤滑性、耐酸化性に乏しかった。このことから、例えば切削工具のような苛酷な環境で使用される場合、窒化物を主体とする皮膜に比べ、耐摩耗性の改善には至らず、工具等の被覆材料として実用的に適用されるには至っていなかった。そこで、これら技術課題を解決することが出来る本願発明の皮膜によって、高硬度で潤滑性に優れ、膜全体としての耐摩耗性を、より格段に改善することができた。
本願発明の皮膜を得るための好ましい製造方法は、例えば物理蒸着を採用することである。これによって成膜装置には組成の異なる複数のターゲットが同時に装填することができ、また、電極の配置を工夫して成膜時のイオン化率を高めて、皮膜の結晶配向性を制御することができるからである。本願発明の高硬度の皮膜を得るために、独立したアノードの設置が有効である。本願発明は、工具基材にバイアス電圧を印加することによって、成膜時のイオン化率を高めながら、皮膜の結晶配向性を制御することにより、安定して高硬度な皮膜を被覆することができる。特に、スパッタリング法による被覆方法が好ましいが、アーク放電式イオンプレーティング(以下、AIPと記す。)法との併用もできる。スパッタリング法は、直流電源を使用して、安定した特性を有する皮膜を被覆することが出来る。スパッタ電源、バイアス電源には、直流電源、高周波電源、パルス電源から選択し、組み合わせて使用することが出来る。特に本願発明は、結晶粒子径や皮膜厚さを制御する目的でイオン化を促進するためにアノード電極を基材近傍に配置した。これにより、各元素のイオン化が促進され、皮膜の結晶性を高めることができ好ましい。特に、真空容器内に独立したアノードを設けることが好ましく、また、蒸発源と対向する位置に独立したアノードを設けて電子の移動距離を長くして成膜することが好ましい。その結果、プラズマの活性度が高まり、皮膜をより高硬度化することが出来る。通常の成膜装置は、真空容器壁をアノードとしている。
本願発明の皮膜は、膜全体としては硼化物が主体の皮膜であり、極めて高硬度を有する。ここで、硼化物が主体の皮膜とは、その他、炭化物、金属、酸化物等を含んでも良く、硼化物の比率を50%以上であることを意味する。これら化合物の同定は例えばX線光電子分光分析により結合状態比率を定量化することができる。結合状態比率は、皮膜の高硬度の観点から、硼化物の比率を80%以上とすることが好ましい。本願発明の皮膜の硬さは、40〜70GPaとすることが望ましい。皮膜の硬さが40GPa未満の場合、耐摩耗性が低下する傾向にある。70GPaを超えると残留圧縮応力が高くなり過ぎて密着強度が低下し、皮膜が剥離しやすくなり、耐摩耗性が低下する傾向にある。特に硬さが45〜60GPaのとき、残留圧縮応力と皮膜硬さのバランスが最適であり、密着強度に優れ、耐摩耗性も優れる。ここで、硬さ測定は、ナノインデンテーション法で測定することができる。本願発明の皮膜硬さの制御は、皮膜組成及び被覆条件により、結晶配向性を制御することで達成できる。特に、X線回折による最強回折強度を示す面指数を(001)面とすることにより、より高硬度な皮膜が得られる。本願発明の皮膜の表面に存在するマクロパーティクルの面積率を5%以下にすることで、皮膜表面の耐凝着性が低下するために好ましい。ここで言うマクロパーティクルは、皮膜の表面に存在する凸形状を有する付着粒子であり、その核は金属成分が主体である。マクロパーティクルを低減する方法は、物理蒸着法の中でもスパッタリング法により、マクロパーティクルの存在比率を1%以下とすることができる。また被覆処理後、皮膜表面に付着したマクロパーティクルを機械的に除去することにより、マクロパーティクルの面積率を低下させることができる。マクロパーティクルの面積率は、走査型電子顕微鏡により倍率を略3k倍で撮影し、凸形状のマクロパーティクルの面積を画像解析処理により定量し、面積率として示すことができる。本願発明の皮膜は、Ar及び/又はKrを5原子%未満含有することが好ましい。被覆時にAr及び/又はKrを用いることにより、皮膜へのボンバードメント効果により皮膜の硬さが向上し、皮膜表面がより平滑になり、工具の耐摩耗性、耐凝着性を改善することができる。更に、Ar及び/又はKrが結晶粒界に残留することにより、皮膜の硬さを低下させることなく、残留圧縮応力が緩和される傾向にありことから、工具の耐チッピング性が向上する。皮膜内のAr及び/又はKrの含有量が5原子%以上を含むと、皮膜硬さの急激な低下、また、高温環境下でAr及び/又はKrが皮膜外へ抜け出し、酸素の拡散を助長し、耐酸化性が低下する。特に、Ar及び/又はKrの含有量は、0.01〜0.8%が好ましい。Ar及び/又はKrの存在の確認、及び定量は、電子プローブマイクロアナライザー分析、オージェ電子分光分析等により分析することができる。以下、本願発明を実施例に基づいて説明する。
(実施例1)
成膜装置はスパッタリング蒸発源を夫々、SP1、SP2、SP3、SP4と称する4基搭載した成膜装置を用いた。真空容器内は、真空ポンプにより排気され、ガスは供給ポートより導入される。SP1に各種硼化物ターゲットを装填し、SP2に各種炭化物ターゲットを装填した。必要に応じてSP3、SP4に中間層用、添加元素用として金属ターゲットを装填した。スパッタリング蒸発源に設置されたターゲット及びガスから放出した電子は、基材ホルダーをはさんでスパッタリング蒸発源の略対面に設置された、独立したアノードに捕獲される。真空容器内のプラズマがより活性化された状態で被覆され、より高硬度な皮膜が得られる。バイアス電源は基材に接続され、独立して基材に負のバイアス電圧を印加した。基材には固定冶具とサンプルホルダーが設置され、自公転する。本願発明の積層構造は、成膜時の基材回転数、蒸発源の数と蒸発源に供給する電力等により制御することができる。皮膜の特性評価用試料として、鏡面加工を施したCo含有量10重量%の超微粒子超硬合金製SNMN120408形状の試験片を準備した。また、耐摩耗性を評価する工具として切削工具を用い、Co含有量8重量%の超微粒子超硬合金製の2枚刃ボールエンドミルを準備し、夫々脱脂洗浄を十分に実施して真空容器に設置した。被覆条件は、ヒーター加熱で基材温度を500℃として、排気を行い、容器内圧力が4×10−3Paに達した後、Arガスを真空容器内に導入し、基材に、−300Vのバイアス電圧を印加してArイオンによる基材のクリーニングを略30分間実施した。次に、SP1、SP2に電力を供給し、放電を開始し、基材表面に皮膜を被覆した。ここで、SP1の電力を4kW、SP2の電力を1kW、基材回転数を毎分1回転とし、皮膜全体の膜厚として略2μm被覆した。上記の成膜パラメータを基本成膜条件とした。表1に使用したターゲットを示す。
本発明例1は、SP1にTiB2、SP2にSiCを設置した。本発明例2は、SP1にTiB2、SP2にB4Cを設置した。これら本発明例に対し、以下の比較例を作成し、本発明例と比較した。比較例22は、SP2に炭素を含まない比較例としてSiを、比較例23はTiを、比較例24はTiNを設置した。比較例25は、SP1とSP2に(TiBSiC)複合ターゲットを設置し、皮膜組成が略同一とし積層構造を持たない皮膜を被覆した。従来例31は、炭素を含有せず、且つ積層構造を持たない従来の硼化物皮膜を被覆した。本発明例3〜5、比較例26〜28は、基材回転数とSP1、SP2の電力を変更し、TA値、TB値が異なる積層構造の皮膜を被覆した。比較例28、本発明例6〜8、比較例29、30は、SP1、SP2の電力を変化させ、TB/TA値を変化させた皮膜を被覆した。SP2として本発明例9はWCを、本発明例10はTiCを、本発明例11はCを、本発明例12はAlとCの複合ターゲットを、本発明例13はNbとCの複合ターゲットを、本発明例14はZrとCの複合ターゲットを設置して、積層構造を有した皮膜を被覆した。本発明例15はSP1にCrB2、SP2にSiCを、本発明例16はSP1にZrB2、SP2にSiCを設置して皮膜を被覆した。本発明例17〜21は、基材と本願発明の皮膜の間に、窒化物の中間層を被覆した。SP3、SP4に中間層用ターゲットを設置し、中間層の上層に本発明例1と同じ皮膜を被覆し、全体の膜厚を4μmとした。これらは工具寿命に及ぼす中間層の影響について評価を行ったものである。本発明例17は、中間層として(TiAl)Nを2μm被覆し、本発明例18は、中間層としてSP3により(TiAl)Nを1.5μm、更にその直上にSP4により(TiSi)Nを0.5μm被覆し、本発明例19は、中間層として(TiAlCr)Nを2μm被覆し、本発明例20は、中間層として(CrAl)Nを2μm被覆し、本発明例21は、中間層としてSP3により(CrAl)Nを1.5μm、更にその直上にSP4により(CrAlSi)Nを0.5μmからなる中間層を被覆した。
皮膜の断面構造を解析するために、電界放射型透過型電子顕微鏡(以下、FE−TEMと記す。)による断面観察を行った。加速電圧200kVの条件において、ナノオーダーで構成されるA層、B層の層厚の測定、及び平均結晶粒径の測定、エネルギー分散型分析(EDS)による直径1nm領域の定量分析、及び直径1250nmの制限視野回折像をカメラ長50cmで行った。表2に各試料の断面TEM像から実測した皮膜のTB/TA値、D値を示す。
本願発明の皮膜組成を波長分散型電子線プローブ微小分析(WDS−EPMA)により、加速電圧10kV、試料電流5×10−8アンペア、取り込み時間10秒、分析領域直径1μm、分析深さが略1μmの条件で5点測定した。その平均値を表3に示す。数値は、原子比で全体を100として示した。
また表3には、本願発明の皮膜の破断面観察を、電界放射型走査型電子顕微鏡(以下、FE−SEMと記す。)で行った結果を示す。ノッチ加工を行った後に強制的に破断し、その破断面組織を倍率10k倍で観察した。観察結果から、皮膜の成長起点から表面に連続した柱状晶が存在しないものを(nc)、連続した柱状晶が存在しないものの微細な柱状組織を含むものを(fc)、連続した柱状晶が存在するものを(cc)、として示した。また表3には、本願発明の皮膜の結晶構造を決定するためにX線回折(XRD)を行った結果を示す。X線回折装置を用い、管電圧120kV、管電流40μm、X線源Cukα、X線入射角5度、X線入射スリット0.4mm、2θを20〜90度とした。最大回折強度を示す面指数、及び2θが44度±3度の範囲内のピークを示す(101)面の半価幅W値を測定した。更に表3には、皮膜の硬さを測定した結果を示す。硬さ測定のために、エリオニクス製のナノインデンテーション装置を用いた。試験片を5度傾けて、鏡面研磨後、皮膜の研磨面内で最大押し込み深さが膜厚の略1/10未満となる領域を選定した。このとき略1/5でも基材の影響はなかった。押込み荷重49mN、最大荷重保持時間1秒、荷重負荷後の除去速度0.49mN/秒の測定条件で10点測定し、その平均値を求めた。この測定方法における皮膜硬さは、圧子の微細形状、測定時の温度、湿度、試料の表面状態に左右され易く、得られる数値は必ずしもビッカース硬さと一致しない。そこで、単結晶Siを同時に測定した。そのときの単結晶Siの皮膜硬さが15GPaであった。そこで測定結果をもとに相対比較することが出来る。
表4に本願発明の皮膜の耐摩耗性を評価するために摩擦摩耗特性を測定した結果を示す。評価条件は、ボールオンディスク型の摩耗試験機を用い、荷重5N、回転半径3mm、回転速度を3cm/秒、ディスクを被覆基材、ボールを直径6mmのSUJ2とし、摩擦係数測定、また鉄の付着状態、皮膜の摩耗を測定した。
図1は、本発明例1による(nc)の状態を示す。即ち、図1の破断面組織には、皮膜の成長起点から表面に連続した柱状晶の界面が存在していない(nc)の状態を示す。ここで言う柱状晶の界面とは、基材に対して略垂直方向の面である。このような破断面組織に制御することにより、酸素の内向拡散を抑制することができ、格段に耐酸化性を改善することが出来、耐摩耗性を改善することが出来る。図2に、本発明例1の断面構造を、FE−TEMにより解析した結果を示す。このFE−TEM像は、皮膜断面中央部を示す。図2に代表的に示すように、本発明例1は5〜20nm程度の微結晶粒子から構成されることが確認できた。図3に、本発明例1の皮膜断面における、直径1250nm内の制限視野回折像を示す。図3より、本発明例1は六方晶構造の回折パターンを示し、また、非晶質相を含む可能性のあることを示唆する。また図3からは、[101]方向の優先配向も認められた。図2中の矢印部の暗視野像を図4、明視野像を図5に示す。ここで、図4の暗視野像は組成に依存したコントラストを示すことから、組成の相違を確認することができた。図4から、各層が50nm以下の層厚を有した組成の異なる層の積層構造の存在が確認できた。図5の明視野像は、結晶配向に依存したコントラストを示すことから、結晶粒子の情報が得られた。図5から、積層構造は同一結晶粒子を横切って成長していることが確認でき、同一結晶粒子内に組成が異なる領域が存在することを示した。図4、5中の番号1、4に対応した、ビーム径1nm領域のEDS分析結果を実施した。図6は、図4、5中の番号1に対応したEDS分析結果を、図7に図4、5中の番号4に対応したEDS分析結果を示した。ナノ領域におけるEDS分析では、Cは一部コンタミの情報を含む可能性が考えられ、またMoは試料作成における補強リングの情報、またWは超硬基材の情報を含むことが考えられる。更に数nm程度の分析領域では十分なX線強度が得られないことからも、特に非金属元素である硼素や炭素の定量精度は低いと考えられる。よって、現時点の分析技術をもってしてもナノ領域の定量分析性は誤差を含む結果となる。表3に示す皮膜のEPMA分析結果とTEM観察によるEDS分析結果を比較すると、両分析手法では炭素含有量に相違が認められることから、EDS分析結果は特に炭素に関し誤差を多く含むと考えられ、これらから膜組成の定量分析には複数の分析手法を用い総合的に判断することが好ましい。図4、5中の番号1、4は同一結晶粒子内であり、図4の暗視野像から組成の相違に依存した濃淡が認められる。図6、図7のEDS分析結果から、番号1では相対的にTi、Bがリッチな層であり、番号4では相対的にSi、Cがリッチな領域であると考えられ、番号1は、SP1のTiB2、番号4は、SP2のSiCによる層であり、硼素高濃度層と炭素高濃度層が50nm以下の層厚で層厚方向に存在することが認められた。また、番号1、4のEDS分析結果から、SP1による層、SP2による層の夫々の元素は相互に拡散し、各層の組成は一部混合した積層構造であると考えられる。
図8は、TB/TA値が夫々異なる本発明例1、6〜8に関し、X線回折を行った結果を示す。本発明例1、6から8はすべて六方晶の結晶構造を有しており、TB/TA値が0.05〜0.6に変動することにより、結晶性、最強強度面指数、W値が変動した。即ち、TB/TA値が増加するほどW値が増加する傾向にあり、また非晶質に近い構造となり、結晶性が悪くなった。特にTB/TA値が0.6である本発明例8は最もW値が大きく、また(101)面以外のピークは明瞭に認められなかった。このことから、TB/TA値の増加は結晶性の低下を招き、皮膜硬度が低下することが分かった。TB/TA値が0.05〜0.6の範囲で増加するほど、最強強度面指数も(001)から(101)に変化しており、更にW値も比例して増加する傾向にあった。比較例29、30は、何れも結晶構造は非晶質であり、皮膜硬度並びに潤滑性に乏しい結果であった。本発明例6と従来例31を比較すると、TB/TA値が極めて低い値である0.05においても、従来例31に対して摩擦摩耗特性のうち摩擦係数が格段に低く、ディスクの摩耗進行が抑制されていることから、耐摩耗性を大幅に改善できることが分かった。
表3の皮膜硬度について、本発明例1、2は62〜64GPaであることに対し、比較例22〜25は、23〜34GPaであり、本発明例の皮膜は高い硬度を有していた。表4の摩擦摩耗試験結果から、本発明例1、2は比較例22〜25に対し、0.18〜0.24と低い摩擦係数値を示した。また試験後の皮膜の摩耗深さも比較例22〜25に対し、本発明例は9〜12nmであり耐摩耗性に優れていた。比較例22〜25の摩擦摩耗試験後の皮膜表面には多数の溶着物が付着し、比較例24、25では皮膜の剥離も観察された。これらより、本発明例1、2は、皮膜の高硬度に加え、潤滑性の改善が認められた。この理由は、本発明例1、2が硼化物と炭素とを含有する皮膜であって積層構造を有するからである。これに対して、比較例22〜24は炭素を含有せず、比較例25は積層構造を持たないことが影響したのである。また、従来例31は、硼化物皮膜の単一層であるが、皮膜の硬度が65GPaと高い硬度を有するものの、摩擦摩耗試験から摩擦係数が0.61、摩耗深さが57nm、試験後の皮膜表面には、皮膜の自己破壊を起点に多数の溶着物、剥離が観察され、潤滑特性に乏しい結果であった。このことは、皮膜の高硬度化のみでは潤滑性が十分ではなく、結果的に膜全体としての耐摩耗性が十分ではないことを示しており、皮膜硬度と潤滑性改善の相乗効果が得られる本願発明が極めて有効であることを示唆している。次に、本発明例1、3〜5、比較例26〜28を比較して、表2に示すTB/TA値が及ぼす耐摩耗性の影響を検討した。本発明例1、3〜5は、高い皮膜硬度を有しながら、潤滑性特性が格段に改善されており、摩耗深さが小さく耐摩耗性が格段に改善される結果であった。これに対し、TA値が55nmの比較例26は、摩擦摩耗試験結果から皮膜の自己破壊を起点とした皮膜剥離が認められ、また摩擦係数が高い結果を示し、従来例31の硼化物皮膜に比べ、何ら改善が認められなかった。同時に皮膜硬度の急激な低下が認められた。これはTB値が30nmであり、B層の影響であると考えられる。TB値が55nmの比較例27は、結晶構造が非晶質形態となり皮膜硬度が24GPaと急激低下した。このことから耐摩耗性の改善が認められなかった。TA値が10nm、TB値が30nmの比較例28は、夫々の層厚が50nm以下を満足しているものの、TB/TA値が3の場合である。比較例27と同様に皮膜硬度の急激な低下が確認され、耐摩耗性の改善効果は認められなった。更に、本発明例1、24〜26、比較例29、30において、TB/TA値が皮膜硬度、潤滑性、耐摩耗性に及ぼす影響を比較した。TB/TA値が0.6以下の本発明例1、6〜8は、高硬度を維持した状態で、摩擦摩耗試験に示すように、同時に優れた潤滑性を有しており、優れた耐摩耗性を示した。特にTB/TA値が0.05〜0.30の範囲の本発明例は摩耗進行が遅く、より好ましい本願発明の形態である。一方、TB/TA値が0.8、1の比較例29、30は、皮膜硬度が急激に低下しており、同時に摩擦係数の増加や試験後の皮膜剥離が認められた。
(実施例2)
本願発明の皮膜を切削工具に適用したときの耐摩耗性、耐久性を評価した。ボールエンドミルによる工具寿命の評価を次の試験条件で実施した。工具寿命の評価結果は、逃げ面摩耗幅が0.1mmに達した切削長又は著しく不安定な加工状態、例えば火花発生、異音、加工面のむしれ、バリ、焼け等の状態に達した切削長を工具寿命とした。工具寿命が250m以上のものが本願発明の効果が発揮できたと判断した。工具寿命の評価結果を表5に示す。切削長10m未満の値は切り捨てて記載した。
(試験条件)
工具:2枚刃超硬ソリッドボールエンドミル、直径10mm
切削方法:底面切削
被削材:HPM38、硬さ、HRC52、日立金属株式会社製金型材
切り込み:軸方向、0.4mm、径方向、0.2mm
主軸回転数:10000min−1
テーブル送り:4m/min
切削油:なし、エアブロー
表5に示す本発明例1、2、比較例22〜25、従来例31の工具寿命を比較した。本発明例1、2は比較例22〜25に対し、3倍以上の工具寿命を示し、本願発明の皮膜を切削工具に適用することにより、優れた耐久性を示すことが確認できた。これらの結果から、本願発明の皮膜は、硼化物の高い硬度を有しながら、B層の潤滑特性を併せ持ち、高い皮膜硬度と潤滑性改善の相乗効果が得られ、耐摩耗性を格段に改善できることが確認された。次に、本発明例1、3〜5、比較例26〜28の工具寿命を比較した。本発明例1、3〜5は比較例26〜28に対し、2.5倍以上の工具寿命を示し、本願発明の皮膜を切削工具に被覆することにより、優れた耐久性を示すことが確認できた。更に、本発明例1、本発明例6〜8、比較例29、30の工具寿命を比較した。本発明例1、6〜8は、比較例29、30に対し、2〜3倍の工具寿命を示し、本願発明の皮膜を切削工具に被覆することにより、優れた耐久性を示すことが確認できた。また、本願発明内で工具寿命を比較した。TA値が6〜20nm、TB値が1〜10nm、TB/TA値が0.05〜0.30とすることにより、更に1.5倍以上の工具寿命を示し、これらはより好ましい本願発明の形態である。以上の結果から、TB/TAの値が0.6以下を満足する本願発明の皮膜は、略同一組成を有する比較例に対し、優れた耐摩耗性を有するものであった。本願発明の皮膜は、50GPa以上の高硬度による耐摩耗性と、低摩擦係数、皮膜表面の凝着抑制による十分な潤滑性及び表面剥離抑制効果を兼ね備えており、皮膜全体として耐摩耗性を改善することができた。工具の長寿命化は、従来例31に比べ、2倍以上に有効であった。
次に本発明例1、本発明例9〜16は、皮膜への添加元素の影響について比較した。Al、Si、Cr、W、Ti、Nb、Zrから選択される1種以上の金属元素を含む皮膜は、比較例に比べても高硬度で耐摩耗性に優れ、工具の長寿命化に有効であることが確認できた。特に、Siを含む本発明例1、Wを含む本発明例9は、皮膜硬度が60GPa以上と高硬度を示し、工具寿命も400m以上を達成できた。また、Crを含む本発明例15は、硬度は60GPaに満たないものの、摩擦係数が最も低く、摩耗深さも最も浅い結果が得られ、最も潤滑特性の改善に有効な結果が確認できた。中間層を用いた本発明例17〜21は、比較例に対して4倍以上の工具寿命を示した。中間層のない本発明例1に対しても、1.6倍以上の工具寿命を示した。特にCrとAlの窒化物を中間層とした本発明例20、21は、本発明例1に対して、2倍の工具寿命を示した。以上の結果から、単一の被覆層よりも、中間層を用いることにより、工具の耐久性を大幅に改善することが出来、工具の耐摩耗性改善に極めて有効な手段であることが確認できた。
図1は、本発明例1の皮膜破断面写真を示す。
図2は、本発明例1の皮膜断面写真を示す。
図3は、本発明例1の制限視野回折像を示す。
図4は、図2の拡大図を示す。
図5は、図2の拡大図を示す。
図6は、図4の番号1の分析結果を示す。
図7は、図4の番号4の分析結果を示す。
図8は、X線回折結果を示す。