以下、本発明の好適な実施形態を説明する。なお、本明細書において特に言及している事項以外の事柄であって本発明の実施に必要な事柄は、本明細書に記載された発明の実施についての教示と出願時の技術常識とに基づいて当業者に理解され得る。本発明は、本明細書に開示されている内容と当該分野における技術常識とに基づいて実施することができる。
[溶射用スラリー]
ここに開示される溶射用スラリーは、本質的に、セラミックス、無機化合物、サーメットおよび金属からなる群から選択される少なくとも一種の材料からなる溶射粒子と、分散媒と、を含む。そして、この溶射用スラリーについて、溶射粒子が分散媒に分散された状態における溶射粒子のゼータ電位が、−200mV以上200mV以下であることを特徴としている。換言すると、溶射用スラリーおける溶射粒子は、ゼータ電位の絶対値が200mV以下となるように調製されている。ゼータ電位は、−180mV以上180mV以下であることが好ましく、−150mV以上150mV以下であることがより好ましく、例えば0mV以上150mV以下であることがより好ましい。
なお、一般的に、粒子と分散媒とからなる分散系においては、ゼータ電位の絶対値が大きいほど粒子の分散性が高くなることから、粒子が凝集しにくく、粒子が液体中に均一な濃度で分散していると考えられている。すなわち、個々の粒子の粒子間に斥力を作用させて一次粒子の状態での分散状態を維持するようにしている。そのため、分散系における粒子のゼータ電位が数100mV以上とすることが多い。
これに対し、上記の材質の溶射粒子と分散媒とからなる溶射用スラリーの分散系では、溶射粒子が分散を維持することは困難であり得る。溶射粒子が、樹脂材料などと比較して比重の重い、セラミックス、無機化合物、サーメットおよび金属等からなる場合はその傾向がより一層強くなる。そこで、ここに開示される技術においては、たとえ溶射粒子がある程度凝集しても、二次粒子の状態で互いに大きな反発や凝集を行わず、斥力と引力とが相殺されるかその差が小さい状態であれば、溶射に適した状態であることを知見し、溶射用スラリーにおける溶射粒子のゼータ電位(以下、単に「ゼータ電位」という場合がある。)が−200mV〜200mVの範囲となるように規定している。これにより、溶射用スラリーの分散系において、溶射粒子が沈殿したり凝集したりしたとしても、流動状態において安定した分散状態を維持し得るようにしている。この分散状態において、溶射粒子は、凝集して二次粒子を構成していてもよい。
溶射粒子のゼータ電位は、ここに開示される溶射用スラリーにおける溶射粒子の流動性(運動性)を表す指標として用いている。したがって、ゼータ電位の測定においては、測定対象である溶射用スラリーに希釈等の前処理等を施すことなく測定された値を採用することができる。ゼータ電位の測定方法としては、例えば、顕微鏡電気泳動法、回転回折格子法、レーザー・ドップラー電気泳動法、超音波振動電位法、動電音響法等の公知の測定手法を採用することができる。なかでも、超音波の照射により溶射スラリー中の溶射粒子を振動させてゼータ電位を測定することから、高濃度溶射スラリーにおける溶射粒子のゼータ電位を測定できる、超音波振動電位法を好ましく採用することができる。
(溶射用粒子)
溶射粒子としては、セラミックス、無機化合物、サーメットおよび金属からなる群から選択される少なくとも一種の材料からなるものを含むことができる。
ここで、セラミックスとしては特に制限されない。例えば、各種の金属の酸化物からなる酸化物系セラミックス、または、金属の炭化物炭化物からなる炭化物系セラミックス,金属の窒化物からなる窒化物系セラミックス,その他、金属のホウ化物,フッ化物,水酸化物,炭酸塩,リン酸塩等の非酸化物からなる非酸化物系セラミックスを考慮することができる。
ここで、酸化物系セラミックスとしては、特に限定されることなく各種の金属の酸化物とすることができる。かかる酸化物系セラミックスを構成する金属元素としては、例えば、B,Si,Ge,Sb,Bi等の半金属元素、Na,Mg,Ca,Sr,Ba,Zn,Al,Ga,In,Sn,Pb,P等の典型金属元素、Sc,Y,Ti,Zr,Hf,V,Nb,Ta,Cr,Mo,W,Mn,Fe,Co,Ni,Cu,Ag,Au等の遷移金属元素、La,Ce,Pr,Nd,Pm,Sm,Eu,Gd,Tb,Dy,Ho,Er,Tu,Yb,Lu等のランタノイド元素から選択される1種または2種以上が挙げられる。なかでも、Mg,Y,Ti,Zr,Cr,Mn,Fe,Zn,Al,Erから選択される1種または2種以上の元素であることが好ましい。なお、ここに開示される酸化物系セラミックスは、以上の金属元素に加えて、F,Cl,Br,I等のハロゲン元素を含むことも好ましい。
酸化物系セラミックスとしては、より具体的には、例えば、アルミナ,ジルコニア,イットリア,クロミア,チタニア,コバルタイト,マグネシア,シリカ,カルシア,セリア,フェライト,スピネル,ジルコン,フオルステライト,ステアタイト,コーディエライト,ムライト,酸化ニッケル,酸化銀,酸化銅,酸化亜鉛,酸化ガリウム,酸化ストロンチウム,酸化スカンジウム,酸化サマリウム,酸化ビスマス,酸化ランタン,酸化ルテチウム,酸化ハフニウム,酸化バナジウム,酸化ニオブ,酸化タングステン,マンガン酸化物,酸化タンタル,酸化テルピウム,酸化ユーロピウム,酸化ネオジウム,酸化スズ,酸化アンチモン,アンチモン含有酸化スズ,酸化インジウム,チタン酸バリウム,チタン酸鉛,チタン酸ジルコン酸鉛,Mn−Znフェライト,Ni−Znフェライト,サイアロン,スズ含有酸化インジウム,酸化ジルコニウムアルミネート,酸化ジルコニウムシリケート,酸化ハフニウムアルミネート,酸化ハフニウムシリケート,酸化チタンシリケート,酸化ランタンシリケート,酸化ランタンアルミネート,酸化イットリウムシリケート,酸化チタンシリケート,酸化タンタルシリケート,イットリウムオキシフッ化物,イットリウムオキシ塩化物,イットリウムオキシ臭化物,イットリウムオキシヨウ化物等が例示される。
また、非酸化物系セラミックスとしては、例えば、タングステンカーバイド,クロムカーバイド,ニオブカーバイド,炭化バナジウム,炭化タンタル,炭化チタン,炭化ジルコニウム,炭化ハフニウム,炭化ケイ素および炭化ホウ素等の炭化物系セラミックスや、窒化ケイ素,窒化アルミニウム等の窒化物系セラミックス、ホウ化ハフニウム,ホウ化ジルコニウム,ホウ化タンタルおよびホウ化チタン等のホウ化物系セラミックス、ハイドロキシアパタイト等の水酸化物系セラミックス、リン酸カルシウム等のリン酸系セラミックス等が挙げられる。
無機化合物としては特に制限されず、例えば、シリコンコンのような半導体や、各種の炭化物、窒化物、ホウ化物などの無機化合物の粒子(粉末であり得る)が考慮される。この無機化合物は、結晶性のものであっても良いし、非結晶性のものであっても良い。例えば、特に好ましい無機化合物としては、希土類元素のハロゲン化物が挙げられる。
この希土類元素ハロゲン化物において、希土類元素(RE)としては特に制限されず、スカンジウム,イットリウムおよびランタノイドの元素のうちから適宜に選択することができる。具体的には、スカンジウム(Sc),イットリウム(Y),ランタン(La),セリウム(Ce),プラセオジム(Pr),ネオジム(Nd),プロメチウム(Pm),サマリウム(Sm),ユウロピウム(Eu),ガドリニウム(Gd),テルビウム(Tb),ジスプロシウム(Dy),ホルミウム(Ho),エルビウム(Er),ツリウム(Tm),イッテルビウム(Yb)およびルテチウム(Lu)のいずれか1種、または2種以上の組み合わせを考慮することができる。耐プラズマエロージョン性を改善させたり、価格等の観点から、Y,La,Gd,Tb,Eu,Yb,Dy,Ce等が好ましいものとして挙げられる。この希土類元素は、これらのうちのいずれか1種を単独で、または2種以上を組み合わせて含んでいても良い。
また、ハロゲン元素(X)についても特に制限されず、元素周期律表の第17族に属する元素のいずれであっても良い。具体的には、フッ素(F),塩素(Cl),臭素(Br),ヨウ素(I)およびアスタチン(At)等のハロゲン元素のいずれか1種の単独、または2種以上の組み合わせとすることができる。好ましくは、F,Cl,Brとすることができる。ハロゲン元素は、これらのうちのいずれか1種を単独で、または2種以上を組み合わせて含んでいても良い。このような希土類元素ハロゲン化物としては、フッ化イットリウム(YF3)に代表される各種の希土類元素のフッ化物が好適な例として挙げられる。
金属としては特に制限されず、例えば、上記のセラミックスの構成元素として挙げた各種の金属元素の単体や、これらの元素と他の1種以上の元素とからなる合金等が挙げられる。金属の単体としては、例えば、典型的には、ニッケル,銅,アルミニウム,鉄,クロム,ニオブ,モリブデン,錫および鉛等が例示される。また、合金としては、ニッケル基合金、クロム基合金、銅基合金、鉄鋼等が挙げられる。なお、ここでいう合金とは、上記の金属元素と、他の1種以上の元素からなり、金属的な性質を示す物質を包含する意味であって、その混ざり方は、固溶体、金属間化合物およびそれらの混合のいずれであっても良い。
サーメット(Cermet)としては特に制限されず、セラミックス粒子を金属マトリックスで結合させた複合材料全般を考慮することができる。かかるサーメットとしては、例えば上記で上げたセラミックスと金属との複合体とすることができる。より具体的には、例えば、炭化チタン(TiC)や炭窒化チタン(TiCN)等のチタン化合物系,タングステンカーバイド(WC)やクロムカーバイド(CrC)等の炭化物系セラミックスあるいはアルミナ(Al2O3)等の酸化物系セラミックスと、鉄(Fe),クロム(Cr),モリブデン(Mo),ニッケル(Ni)等の金属との複合体(サーメット)が典型例として挙げられる。かかるサーメットは、例えば、所望のセラミックス粒子と金属粒子とを適切な雰囲気で焼成することで用意することができる。
なお、ここで開示される溶射粒子としては、以上のセラミックス、無機化合物、サーメットおよび金属のうちでも、とりわけ、少なくともイットリウムオキシフッ化物からなる溶射粒子を含むことが好ましい。イットリウムオキシフッ化物は、構成元素として少なくとも、イットリウム(Y)と、酸素(O)と、フッ素(F)とを含む化合物であり得る。このイットリウムオキシフッ化物を構成するイットリウム(Y)と酸素(O)とフッ素(F)との割合は特に制限されない。
例えば、酸素に対するフッ素のモル比(F/O)は特に制限されない。好適な一例として、モル比(F/O)は、例えば1であっても良く、1より大きいことが好ましい。具体的には、例えば、1.2以上が好ましく、1.3以上がより好ましく、1.4以上が特に好ましい。モル比(F/O)の上限については特に制限されず、例えば、3以下とすることができる。酸素に対するフッ素のモル比(F/O)のより好適な一例として、例えば、1.3以上1.53以下(例えば1.4以上1.52以下)、1.55以上1.68以下(例えば1.58以上1.65以下)、1.7以上1.8以下(例えば1.72以上1.78以下)とすることで、溶射時の熱安定性が高められるために好ましい。このように、溶射粒子の酸素に対するフッ素の割合が高くなることで、この溶射用スラリーの溶射物である溶射皮膜が、ハロゲン系プラズマに対する優れた耐エロージョン性を備え得るために好ましい。
なお、ここに開示される技術において、ハロゲン系プラズマとは、典型的には、ハロゲン系ガス(ハロゲン化合物ガス)を含むプラズマ発生ガスを用いて発生されるプラズマである。例えば、具体的には、半導体基板の製造に際しドライエッチング工程などで用いられる、SF6、CF4、CHF3、ClF3、HF等のフッ素系ガスや、Cl2、BCl3、HCl等の塩素系ガス、HBr等の臭素系ガス、HI等のヨウ素系ガスなどの1種を単独で、または2種以上を混合して用いて発生されるプラズマが典型的なものとして例示される。これらのガスは、アルゴン(Ar)等の不活性ガスとの混合ガスであってもよい。
また、酸素に対するイットリウムのモル比(Y/O)は特に制限されない。好適な一例として、モル比(Y/O)は1であってもよく、1より大きいことが好ましい。具体的には、例えば、1.05以上が好ましく、1.1以上がより好ましく、1.15以上が特に好ましい。モル比(Y/O)の上限については特に制限されず、例えば、1.5以下とすることができる。酸素に対するイットリウムのモル比(Y/O)のより好適な一例として、例えば、1.1以上1.18以下(例えば1.12以上1.17以下)、1.18以上1.22以下(例えば1.19以上1.21以下)、1.22以上1.3以下(例えば1.23以上1.27以下)とすることで、溶射時の熱安定性が高められるために好ましい。このように、イットリウムに対する酸素元素の割合が小さいことで、この溶射用スラリーを溶射したときに、溶射粒子の酸化分解を抑制できるために好ましい。例えば、この溶射用スラリーの溶射物である溶射皮膜中に、イットリウム成分の酸化による酸化イットリウム(例えばY2O3)が形成されるのを抑制できるために好ましい。
より具体的には、イットリウムオキシフッ化物は、イットリウムと酸素とフッ素との比が1:1:1の化学組成がYOFとして表される化合物であってよい。また、熱力学的に比較的安定で、一般式;Y1O1−nF1+2n(式中、nは、例えば、0.12≦n≦0.22を満たす。)で表されるY5O4F7,Y6O5F8,Y7O6F9,Y17O14F23等であってよい。とくに、モル比(Y/O)および(F/O)が上記のより好適な範囲にあるY5O4F7,Y6O5F8,Y7O6F9等は、ハロゲンガスプラズマに対する耐プラズマエロージョン特性に優れ、より緻密で高硬度な溶射皮膜を形成し得るために好ましい。このようなイットリウムオキシフッ化物は、いずれか1種の化合物の単一相から構成されていても良いし、いずれか2種以上の化合物が組み合わされた混相,固溶体,化合物のいずれか又はこれらの混合等により構成されていてもよい。
また、ここに開示される溶射用スラリーは、イットリウムオキシフッ化物からなる溶射粒子の他に、他のセラミックや無機化合物、金属、サーメットからなる溶射粒子が含まれていても良い。しかしながら、例えば、耐プラズマエロージョン特性に優れた溶射皮膜を形成するために用いる溶射用スラリーとしては、溶射粒子は、イットリウムオキシフッ化物をより多く含むことが好ましい。このようなイットリウムオキシハロゲン化物は、溶射粒子中に77質量%以上という高い割合で含まれていることが好ましい。イットリウムオキシフッ化物は、従来より耐プラズマエロージョン性が高い材料として知られているイットリア(Y2O3)よりも、さらに耐プラズマエロージョン性に優れる。このようなイットリウムオキシフッ化物は、少量含まれるだけでも耐プラズマエロージョン性の向上に大きく寄与するが、上記のように多量に含まれることで、極めて良好なプラズマ耐性を示し得るために好ましい。イットリウムオキシフッ化物の割合は、80質量%以上(80質量%超過)であるのがより好ましく、85質量%以上(85質量%超過)であるのが更に好ましく、90質量%以上(90質量%超過)であるのがより一層好ましく、95質量%以上(95質量%超過)であるのがより一層好適である。例えば、実質的に、100質量%(不可避的不純物を除いて全て)であるのが特に好適である。なお、溶射粒子は、このようにイットリウムオキシフッ化物を高い割合で含むことにより、よりパーティクル源となり易い他の物質を含むことが許容される。
また、溶射粒子にイットリウムオキシフッ化物が含まれる場合、溶射粒子の全てがイットリウムオキシフッ化物であることが好適な一態様であり得る。しかしながら、比較的酸化されやすい組成のイットリウムオキシフッ化物(例えばY1O1F1)については、例えば、希土類元素のハロゲン化物が23質量%以下の割合で含まれることが好ましい。溶射粒子に含まれる希土類元素ハロゲン化物は、溶射によって酸化されて、溶射皮膜中に希土類元素の酸化物を形成し得る。例えば、フッ化イットリウムは、溶射によって酸化されて、溶射皮膜中に酸化イットリウムを形成し得る。この酸化イットリウムは、ハロゲン系プラズマに曝される環境において、パーティクルの発生源となり得る。その一方で、イットリウムオキシフッ化物(例えばY1O1F1)も、溶射によって酸化されて、溶射皮膜中に酸化イットリウムを形成し得る。しかしながら、イットリウムオキシフッ化物と少量の希土類元素ハロゲン化物とが共存するときに、イットリウムオキシフッ化物の酸化が希土類元素ハロゲン化物により抑制され得るために好適である。ただし、過剰な希土類元素ハロゲン化物の含有は、上記のとおりパーティクル源の増大につながることから、23質量%を超えて含まれると耐プラズマエロージョン性が低下されるために好ましくない。かかる観点から、希土類元素ハロゲン化物の含有割合は、20質量%以下であるのが好ましく、15質量%以下であるのがより好ましく、さらには10質量%以下、例えば5質量%以下であるのが好ましい。ここに開示される溶射用材料のより好ましい態様では、希土類元素ハロゲン化物(例えばフッ化イットリウム)についても実質的に含まないことであり得る。
なお、酸化イットリウム(Y2O3)からなる溶射粒子は、白色の溶射皮膜を形成し、環境遮断性や一般的なのプラズマに対する耐エロージョン特性を有する溶射皮膜を形成するために好ましい材料であり得る。しかしながら、溶射粒子は、溶射物である溶射皮膜のプラズマ耐性をより高く発現させ得るために、イットリウムの酸化物(酸化イットリウム:Y2O3)成分を実質的に含まないよう構成とすることもできる。例えば、上記のイットリウムオキシフッ化物からなる溶射粒子を含む溶射用スラリーにおいては、酸化イットリウムからなる溶射粒子が含まれないことが好ましい。溶射粒子に含まれる酸化イットリウムは、溶射によって溶射皮膜中にそのまま酸化イットリウムとして存在し得る。この酸化イットリウムは、上述のように、イットリウムオキシフッ化物や希土類元素ハロゲン化物などに比べてプラズマ耐性が著しく低い。そのため、この酸化イットリウムが含まれた部分はプラズマ環境に晒されたときに脆い変質層を生じやすく、変質層はごく微細な粒子となって脱離しやすい。そして、この微細な粒子がパーティクルとして半導体基盤上に堆積する虞がある。したがって、ここに開示される溶射用スラリーにおいては、パーティクル源となり得る酸化イットリウムの含有を排除することが好ましい。
なお、本明細書において「実質的に含まない」とは、当該成分(ここでは酸化イットリウム)の含有割合が5質量%以下であり、好ましくは3質量%以下、例えば1質量%以下であること意味する。かかる構成は、例えば、この溶射粒子をX線回折分析したときに、当該成分に基づく回折ピークが検出されないことにより把握することもできる。
なお、溶射粒子に複数(例えばa;自然数としたとき、a≧2)の組成のイットリウムオキシフッ化物および/または希土類ハロゲン化物が含まれる場合は、各組成の化合物の含有割合を以下の方法で測定し算出することができる。まず、X線回折分析により、溶射粒子を構成する化合物の組成を特定する。このとき、イットリウムオキシフッ化物は、その価数(元素比)まで同定する。
そして、例えば、溶射用材料中にイットリウムオキシフッ化物が1種類存在し、かつ残りがYF3の場合は、溶射用材料の酸素含有量を例えば酸素・窒素・水素分析装置(例えば、LECO社製,ONH836)によって測定し、得られた酸素濃度からイットリウムオキシフッ化物の含有量を定量することができる。
イットリウムオキシフッ化物が2種類以上存在したり、又は酸化イットリウム等の酸素を含む化合物が混在したりする場合は、例えば各化合物の割合を検量線法により定量することができる。具体的には、それぞれの化合物の含有割合を変化させたサンプルを数種類準備し、それぞれのサンプルについてX線回折分析を行い、メインピーク強度と各化合物の含有量との関係を示す検量線を作成する。そしてこの検量線を元に、測定したい溶射用材料のXRDのイットリウムオキシフッ化物のメインピーク強度から含有量を定量する。
また、上記のイットリウムオキシフッ化物におけるモル比(F/O)およびモル比(Y/O)については、組成物ごとにモル比(Fa/Oa)およびモル比(Ya/Oa)を算出するとともに、そのモル比(Fa/Oa)およびモル比(Ya/Oa)に当該組成物の存在比をそれぞれ乗じて合計(加重和をとる)することで、溶射粒子におけるイットリウムオキシハロゲン化物全体としてのモル比(F/O)およびモル比(Y/O)を得ることができる。
なお、上記の溶射粒子を構成する材料は、機能性を高める目的等で、上記に例示した以外の元素が導入されていてもよい。また、上記のセラミックス、無機化合物、サーメットおよび金属は、各々が2以上の組成を有する材料の混合体または複合体であっても良い。また、セラミックス、無機化合物、サーメットおよび金属のいずれか2以上が、混合体されていても良い。
上記の溶射粒子は、平均粒子径が30μm程度以下であれば特に制限されず、平均粒子径の下限についても特に制限はない。ここで、溶射粒子は、平均粒子径の比較的小さいものをここに開示される溶射用スラリーとして用いることが、その供給性の向上効果が明瞭となるために好ましい。かかる観点から、溶射粒子の平均粒子径は、例えば、10μm以下とすることができ、好ましくは8μm以下、より好ましくは6μm以下、例えば5μm以下とすることができる。平均粒子径の下限については、かかる溶射用スラリーの粘性や流動性を考慮した場合に、例えば、0.01μm以上とすることができ、好ましくは0.05μm以上、より好ましくは0.1μm以上、例えば0.5μm以上とすることができる。なお、平均粒子径をおよそ1μm以上とすることで、溶射用スラリーの粘度が過度に上昇するのを好適に抑制することができるために好ましい。
なお、通常、例えば平均粒子径が10μm以下程度の微細な溶射粒子を溶射材料として用いると、比表面積の増大に伴いその流動性が低下し得る。すると、このような溶射材料は溶射装置への供給性が劣り、溶射材料が供給経路に付着する等して溶射装置に供給され難く、皮膜形成能が低下することがある。そしてさらに、このような溶射材料はその質量の小ささから、溶射フレームやジェット気流に弾かれて好適に飛行させることが困難となり得る。これに対し、ここに開示される溶射用スラリーにおいては、例えば平均粒子径が10μm以下の溶射粒子であっても、溶射装置への供給性を考慮してスラリーとして調製されていることから、供給経路等への付着が抑制されて、皮膜形成能を高く維持することができる。また、スラリーの状態でフレームやジェット気流に供給されることから、かかるフレームやジェットに弾かれることなく流れに乗ることができ、かつ、飛行中に分散媒が除去されることから、溶射効率をさらに高く維持して溶射皮膜を形成することができる。
(分散媒)
ここに開示される溶射用スラリーは、水系または非水系の分散媒を含むことができる。
水系分散媒としては、水または、水と水溶性の有機溶媒との混合物(混合水溶液)が挙げられる。水としては、水道水、イオン交換水(脱イオン水)、蒸留水、純水等を用いることができる。この混合水溶液を構成する水以外の有機溶媒としては、水と均質に混合し得る有機溶剤(例えば、炭素数が1〜4の低級アルコールまたは低級ケトン等)の1種または2種以上を適宜選択して用いることができる。水系溶媒としては、例えば、該水系溶媒の80質量%以上(より好ましくは90質量%以上、さらに好ましくは95質量%以上)が水である混合水溶液の使用が好ましい。特に好ましい例として、実質的に水からなる水系溶媒(例えば、水道水、蒸留水、純水、精製水)が挙げられる。
非水系溶媒としては、典型的には水を含まない有機溶媒が挙げられる。かかる有機溶媒としては特に制限はなく、例えば、メタノール、エタノール、n−プロピルアルコール、イソプロピルアルコールなどのアルコール類、トルエン、ヘキサン、灯油等の有機溶媒の一種を単独で、あるいは2種以上を組み合わせて用いることが挙げられる。
使用する分散媒の種類や組成は、例えば、溶射用スラリーの溶射方法に応じて適宜に選択することができる。すなわち、例えば、溶射用スラリーを高速フレーム溶射法により溶射する場合には、水系溶媒または非水系溶媒のいずれを用いても良い。水系分散媒を用いると、非水系分散媒を用いた場合と比べて、得られる溶射皮膜の表面粗さが向上する(滑らかとなる)点で有益である。非水系分散媒を用いると、水系分散媒を用いた場合と比べて、得られる溶射皮膜の気孔率が低下する点で有益である。
溶射用スラリーは、上記の分散媒に溶射粒子を混合して分散させることで調製することができる。かかる分散には、ホモジナイザー、翼式撹拌機などの混合機、分散機等を用いることができる。
なお、ここに開示される溶射用スラリーは、必要に応じて分散剤をさらに含有してもよい。ここで分散剤とは、溶射用スラリーにおいて、分散媒中での溶射粒子の分散安定性を向上させることができる化合物一般をいう。かかる分散剤は、例えば、本質的に、溶射粒子に作用する化合物であっても良いし、分散媒に作用する化合物であっても良い。また、例えば、溶射粒子または分散媒への作用により、溶射粒子の表面の濡れ性を改善する化合物であっても良いし、溶射粒子を解こうさせる化合物であっても良いし、解こうされた溶射粒子の再凝集を抑制・阻害する化合物であっても良い。
分散剤は、上記の分散媒に応じて水系分散剤と非水系分散剤とから適宜選択して用いることができる。また、かかる分散剤としては、高分子型分散剤(高分子界面活性剤型分散剤を包含する)、界面活性剤型分散剤(低分子型分散剤ともいう)または無機型分散剤のいずれであっても良く、また、これらはアニオン性、カチオン性または非イオン性のいずれであっても良い。すなわち、分散剤の分子構造中に、アニオン性基、カチオン性基およびノニオン性基の少なくとも1種の官能基を有するものであり得る。
高分子型分散剤の例としては、水系分散剤として、ポリカルボン酸ナトリウム塩、ポリカルボン酸アンモニウム塩、ポリカルボン酸系高分子などのポリカルボン酸系化合物からなる分散剤、ポリスチレンスルホン酸ナトリウム塩、ポリスチレンスルホン酸アンモニウム塩、ポリイソプレンスルホン酸ナトリウム塩、ポリイソプレンスルホン酸アンモニウム塩、ナフタレンスルホン酸ナトリウム塩、ナフタレンスルホン酸アンモニウム塩、ナフタレンスルホン酸ホルマリン縮合物のナトリウム塩、ナフタレンスルホン酸ホルマリン縮合物のアンモニウム塩、などのスルホン酸系化合物からなる分散剤、ポリエチレングリコール化合物からなる分散剤等を挙げることができる。また、非水系分散剤として、ポリアクリル酸塩、ポリメタアクリル酸塩、ポリアクリルアミド、ポリメタアクリルアミド、などのアクリル系化合物からなる分散剤、ポリカルボン酸の一部にアルキルエステル結合を有するポリカルボン酸部分アルキルエステル化合物からなる分散剤、脂肪族高級アルコールにエチレンオキシドを付加して重合させたポリオキシアルキレンアルキルエーテル等のポリアルキルエーテル化合物からなる分散剤、ポリアルキレンポリアミン化合物からなる分散剤等を挙げることができる。
なお、この記載から明らかなように、例えば、本明細書でいう「ポリカルボン酸系化合物」の概念には、当該ポリカルボン酸系化合物およびその塩が包含される。他の化合物についても同様である。
また、便宜上、水系分散剤または非水系分散剤のいずれかに分類した化合物であっても、その詳細な化学構造や使用形態により、他方の非水系分散剤または水系分散剤として使用される化合物もあり得る。
界面活性剤型分散剤(低分子型分散剤ともいう)の例としては、水系分散剤として、アルキルスルホン酸系化合物からなる分散剤、第四級アンモニウム化合物からなる分散剤、アルキレンオキサイド化合物からなる分散剤等を上げることができる。また、非水系分散剤として、多価アルコールエステル化合物からなる分散剤、アルキルポリアミン化合物からなる分散剤、アルキルイミダゾリン等のイミダゾリン化合物からなる分散剤などが挙げられる。
無機型分散剤の例としては、水系分散剤として、例えば、オルトリン酸塩、メタリン酸塩、ポリリン酸塩、ピロリン酸塩、トリポリリン酸塩、ヘキサメタリン酸塩、及び有機リン酸塩等のリン酸塩、硫酸第二鉄、硫酸第一鉄、塩化第二鉄、及び塩化第一鉄等の鉄塩、硫酸アルミニウム、ポリ塩化アルミニウム、及びアルミン酸ナトリウム等のアルミニウム塩、硫酸カルシウム、水酸化カルシウム、及び第二リン酸カルシウム等のカルシウム塩などが挙げられる。
以上の分散剤は、いずれか1種を単独で用いても良く、2種以上を組み合わせて併用するようにしても良い。ここに開示される技術においては、具体的な一例として、アルキルイミダゾリン化合物系の分散剤と、ポリアクリル酸化合物からなる分散剤とを併用することを好ましい一態様としている。分散剤の含有量は、溶射粒子の組成(物性)等にもよるため必ずしも限定されるものではないが、典型的には、溶射粒子の質量を100質量%としたとき、0.01〜10質量%の範囲にすることをおおよその目安とすることができる。
(その他の任意成分)
溶射用スラリーは、必要に応じて粘度調整剤をさらに含有してもよい。ここで粘度調整剤とは、溶射用スラリーの粘度を減少または増大させることができる化合物をいう。溶射用スラリーの粘度を適切に調整することにより、溶射用スラリー中の溶射粒子の含有量が比較的高い場合でも溶射用スラリーの供給性の低下を抑えることができる。粘度調整剤として使用することが可能な化合物の例としては、非イオン性ポリマー、例えばポリエチレングリコールなどのポリエーテルや、ポリビニルアルコール、ポリビニルピロリドン、ポリ酢酸ビニル、ポリビニルベンジルトリメチルアンモニウムクロリド、水系ウレタン樹脂、アラビアゴム、キトサン、セルロース、結晶セルロース、メチルセルロース、エチルセルロース、ヒドロキシエチルセルロース、カルボキシメチルセルロース、カルボキシメチルセルロースアンモニウム、カルボキシメチルセルロース、カルボキシビニルポリマー、リグニンスルホン酸塩、澱粉などが挙げられる。粘度調整剤の含有量は、溶射粒子の質量を100質量%としたとき、0.01〜10質量%の範囲にすることができる。
溶射用スラリーは、必要に応じて凝集剤(再分散性向上剤,ケーキング防止剤等ともいう。)をさらに含有してもよい。ここで凝集剤とは、溶射用スラリー中の溶射粒子を凝集(agglomeration)させることができる化合物をいう。典型的には、溶射用スラリー中の溶射粒子を軟凝集(flocculation)させることができる化合物をいう。溶射粒子の物性にもよるが、溶射用スラリー中に凝集剤(再分散性向上剤やケーキング防止剤等を含む)が含まれる場合、溶射粒子同士の間に凝集剤が介在した状態で溶射粒子の沈殿が生じることにより、沈殿した溶射粒子の凝結(aggregation)が抑制されて、再分散性が向上する。つまり、沈殿した溶射粒子は沈殿した場合であっても個々の粒子が密に凝集(凝結であり得る)すること(ケーキング、ハードケーキングともいう。)を防止することができる。したがって、スラリーを溶射装置等へ移送する際にスラリーに発生する乱流により比較的容易に再分散し得るため、移送中の沈降が抑制されて、溶射装置への供給性が向上される。また、溶射用スラリーを容器内に入れて保管する場合に、長期にわたる静置によって溶射粒子が沈殿した場合であっても、例えば、容器を手で持って上下に振るといった簡単な振とう操作によって再分散し得るため、溶射装置への供給性が向上される。
かかる凝集剤または再分散性向上剤としては、アルミニウム系化合物、鉄系化合物、リン酸系化合物、有機化合物のいずれであってもよい。アルミニウム系化合物の例としては、硫酸アルミニウム(硫酸バンドともいう)、塩化アルミニウム、ポリ塩化アルミニウム(PAC、PAClともいう)などが挙げられる。鉄系化合物の例としては、塩化第二鉄、ポリ硫酸第二鉄などが挙げられる。リン酸系化合物の例としては、ピロリン酸ナトリウムなどが挙げられる。などが挙げられる。有機化合物の例としては、アニオン性、カチオン性又は非イオン性のいずれであってもよく、例えば、リンゴ酸、コハク酸、クエン酸、マレイン酸、無水マレイン酸などの有機酸、ジアリルジメチルアンモニウムクロリド重合体、塩化ラウリルトリメチルアンモニウム、ナフタレンスルホン酸縮合物、トリイソプロピルナフタレンスルホン酸ナトリウム、及びポリスチレンスルホン酸ナトリウム、イソブチレン−マレイン酸共重合体、カルボキシビニルポリマー、などが挙げられる。
溶射用スラリーは、必要に応じて消泡剤をさらに含有してもよい。ここで消泡剤とは、溶射用スラリーの製造時や溶射時において溶射用スラリー中に泡が生じるのを防ぐことができる化合物、あるいは溶射用スラリー中に生じた泡を消すことができる化合物をいう。消泡剤の例としては、シリコーンオイル、シリコーンエマルション系消泡剤、ポリエーテル系消泡剤、脂肪酸エステル系消泡剤などが挙げられる。
溶射用スラリーは、必要に応じて防腐剤又は防カビ剤、凍結防止剤などの添加剤をさらに含有してもよい。防腐剤または防カビ剤の例としては、イソチアゾリン系化合物、アゾール系化合物、プロピレングリコールなどが挙げられる。凍結防止剤の例としては、エチレングリコール、ジエチレングリコール、プロピレングリコール、グリセリン等の多価アルコール類などが挙げられる。
以上の凝集剤、粘度調整剤、消泡剤、防腐剤および防カビ剤等の添加剤を使用する場合には、いずれか1種を単独で用いても良いし、2種以上を組み合わせて用いても良い。これらの添加剤の含有量は、溶射粒子の質量を100質量%としたとき、合計で、0.01〜10質量%の範囲にすることをおおよその目安とすることができる。
任意成分としての分散剤、粘度調整剤、凝集剤、再分散性向上剤、消泡剤、凍結防止剤、防腐剤又は防カビ剤等の添加剤を使用する場合には、溶射用スラリーを調製する際に、これらの添加剤を溶射粒子と同じタイミングで分散媒に加えてもよいし、別の任意のタイミングで加えてもよい。
なお、上記に例示された各種添加剤としての化合物は、主たる添加剤用途としての作用の他に、他の添加剤としての機能を発現することもあり得る。換言すると、例えば、同一の種類または組成の化合物であっても、異なる2以上の添加剤としての作用を示す場合があり得る。
このようにして調製される溶射用スラリーは、下記の(1)〜(3)で求められる供給性指数Ifが70%以上となるよう調製することができる。
<供給性指数Ifの算出>
(1)溶射用スラリー800mL中に含まれる溶射粒子をAkgとする。
(2)溶射粒子が分散状態にある溶射用スラリー800mLを、内径5mm、長さ5mで、水平に配置されているチューブに、流速35mL/minで供給して回収される回収スラリーについて、該回収スラリーに含まれる溶射粒子の質量をBkgとする。
(3)上記A,Bにもとづき、次式:If(%)=B/A×100;で算出される値を供給性指数Ifとする。
かかる供給性指数とは、溶射用スラリーにおける溶射粒子の溶射装置への供給性を評価し得る指標である。800mLの溶射用スラリーについて上記供給性指数Ifを規定することで、多様な溶射条件(例えば、より大規模化された溶射条件等)で使用され得る溶射用スラリーについての供給性をより適切に評価することができる。また供給性指標の値を高めることで、溶射用スラリーのおけるゼータ電位の絶対値を好適値(例えば0mV)に近づけることができる。延いては、多様な溶射条件においても良好な溶射を行うことができる溶射用スラリーの多様な設計基準を得ることができる。
また、供給速度を流速35mL/minと規定することで、上記の寸法のチューブ内を移送される溶射用スラリーに乱流を生じさせることができる。かかる乱流を発生させることで、スラリーの押出力および溶射粒子の分散性を高めた状態でスラリーの供給性を評価することができて好ましい。なお、この供給性の評価に用いるチューブの材質は厳密には制限されないが、溶射用スラリーの滑らかな供給条件を実現し得るよう、例えば、ポリウレタン,塩化ビニル,ポリテトラフルオロエチレン等の柔軟性のある樹脂製チューブを用いることが好ましい。外部からチューブ内を流動する溶射粒子の様子が確認できるよう、透明ないしは半透明のチューブを用いることもできる。
そして、ここに開示される技術においては、かかる供給性指数Ifが70%以上であることで、溶射装置への溶射粒子の供給性が十分であると判断することができる。供給性指数Ifは、75%以上であるのが好ましく、80%以上であるのがより好ましく、85%以上、例えば90%以上(理想的には、100%)であるのがより一層好ましい。かかる供給性指数を満たす溶射用スラリーは、該スラリーを溶射装置に供給する際に溶射粒子の沈降が抑制されて、より多くの溶射粒子を溶射装置に供給することができる。また、溶射用スラリーの供給直後と供給の最後とで、スラリー濃度に差が生じ難い。これにより、溶射粒子を、高効率でかつ安定して溶射装置に供給することができ、高品質な溶射皮膜を形成することができる。
以上のような溶射用スラリーにおける溶射粒子の割合は特に制限はないが、例えば、溶射用スラリーの全体に占める溶射粒子の割合が、10質量%以上であることが好ましく、より好ましくは15質量%以上、例えば20質量%以上とすることができる。固形分濃度を10質量%以上とすることで、溶射用スラリーから単位時間あたりに製造される溶射皮膜の厚さ、すなわち溶射効率を向上させることができる。
また、溶射用スラリーにおける溶射粒子の割合は、70質量%以下とすることができ、好ましくは65質量%以下、例えば50質量%以下とすることができる。固形分濃度を70質量%以下とすることで、溶射用スラリーを溶射装置に供給するのに適した流動性を実現することができる。
なお、必ずしも制限されるものではないが、溶射用スラリーの粘度は1000mPa・s以下とすることができ、好ましくは500mPa・s以下、より好ましくは100mPa・s以下、例えば50mPa・s以下とすることができる。溶射用スラリーの粘度が低下することで、流動性をさらに向上させることができる。溶射用スラリーの粘度の下限については特に制限はないが、粘度の低い溶射用スラリーは溶射用粒子の割合が少ないことを意味し得る。かかる観点から、溶射用スラリーの粘度は、例えば、0.1mPa・s以上であるのが好ましく、より好ましくは5mPa・s以上、さらに好ましくは10mPa・s以上である。溶射用スラリーの粘度を上記範囲で調整することにより、供給性指標を好ましい範囲に調整することができる。
なお、溶射用スラリーのpHは、特に制限されないが、2以上12以下であることが好ましい。溶射用スラリーの扱いやすさの面からはpHが6以上8以下であることが好ましい。一方で、例えば、溶射粒子のゼータ電位を調整する目的等で、pHを6以上8以下の範囲外、例えば7以上11以下、あるいは3以上7以下にしてもよい。
溶射用スラリーのpHは公知の各種の酸、塩基、又はそれらの塩により調整される。具体的には、カルボン酸、有機ホスホン酸、有機スルホン酸などの有機酸や、燐酸、亜燐酸、硫酸、硝酸、塩酸、ホウ酸、炭酸などの無機酸、テトラメチルアンモニウムハイドロオキサイド、トリメタノールアミン、モノエタノールアミンなどの有機塩基、水酸化カリウム、水酸化ナトリウム、アンモニアなどの無機塩基、又はそれらの塩が好ましく用いられる。
なお、溶射用スラリーのpHは、ガラス電極式のpHメータ(例えば、(株)堀場製作所製、卓上型pHメータ(F-72)を使用し、認証pH標準液(例えば、フタル酸塩pH標準液(pH:4.005/25℃)、中性リン酸塩pH標準液(pH:6.865/25℃)、炭酸塩pH標準液(pH:10.012/25℃))を用い、JIS Z8802:2011に準拠して測定した値を採用することができる。
溶射用スラリーにおける、溶射粒子が二次粒子を形成していることが好ましい。溶射粒子が形成している二次粒子の量や平均粒子径を調整することで、ゼータ電位を調整することができる。溶射粒子が二次粒子を形成しているかどうかは、スラリー中の溶射粒子の平均粒子径を測定し、その値を、溶射用スラリーの作成のために用意した溶射粒子(乾粉状)の平均粒子径と比較することで把握することができる。例えば、スラリー調製前後で平均粒子径が1.2倍以上(より好ましくは1.5倍以上)となれば、溶射粒子がほぼ全体に亘って二次粒子を形成していると判断することができる。これに対し、スラリー調製前後で平均粒子径が1.2倍未満でさほど変化がなければ、溶射粒子は二次粒子の形成が抑制されていると判断することができる。スラリー中の溶射粒子の平均粒子径は例えば、レーザ回折・散乱式粒子径分布測定装置((株)堀場製作所製、LA−950)を用いて測定した、体積基準の粒度分布における積算50%粒径(D50)を採用している。また、平均粒子径の測定と同時に、溶射粒子の体積基準の粒度分布における積算3%粒径(D3)と積算97%粒径(D97)とを算出することで、平均粒子径のばらつき(二次粒子の形成の様子)を把握することができる。溶射用スラリー中で形成している溶射粒子の二次粒子の平均粒子径は、30μm以下が好ましく、より好ましくは25μm以下、さらに好ましくは15μm以下である。また、溶射用スラリー調整前の溶射粒子の一次粒子径に対し、溶射用スラリー中の溶射粒子の二次粒子の平均粒子径がどの程度拡大したかによっても判断することができる。例えば、溶射用スラリー中で形成している溶射粒子の二次粒子の平均粒子径は、溶射用スラリー調整前の溶射粒子の一次粒子径よりも1.2倍以上であることが好ましく、である。
[溶射用スラリー調製用材料]
上記のとおり、ここに開示される溶射用スラリーは、たとえ溶射用粒子が沈殿した場合であっても、再度の振とう処理等により、良好な再分散性が確保され得る。したがって、例えば、溶射用粒子が沈殿した状態の溶射用スラリーを、溶射用粒子が含まれない又はより含有量が少ない構成部分(典型的には、上澄み部分)と、溶射用粒子を全て含む又はより含有量が多い構成部分(典型的には、上澄み部分を取り除いた残部)と、に分割しておき、適宜これを混合して振とう処理等を施すことにより、上記の溶射用スラリーを得ることができる。さらには、溶射用スラリーの構成成分を、幾つかの構成部分として別個に用意しておき、適宜これを混合して振とう処理等を施すことにより、上記の溶射用スラリーを得ることができる。したがって、この溶射用スラリーは、例えば、溶射用スラリーを構成する各構成成分が、1種類ずつ、あるいは2種類以上の混合物として別個の容器に入れられおり、溶射に供給される前に一つに混合されることで調製されてもよい。
このような観点において、ここに開示される技術は、上記の溶射用スラリーを調製するために用いられる溶射用スラリー調製用材料を提供する。この調製用材料は、少なくとも、上記の溶射用スラリーを構成するいずれか1種類以上の構成成分を含んでいる。そして、この調製用材料を含む、溶射用スラリーを構成する全ての構成成分を一つに混合して混合液を用意した場合に、上記の供給性指数Ifが70%以上を満足するように構成されている。
この調製用材料は、溶射用スラリーを構成する構成成分の一部のみであってよい。また、一つの調製用材料Aと、他の一つの調製用材料B又は二つ以上の調製用材料B,C…とを組み合わせることで、溶射用スラリーを構成する全ての構成成分が含まれるようにしても良い。また、溶射用スラリーを構成する構成成分としては、溶射粒子や分散媒の他に、上記の分散剤や粘度調整剤等の任意成分(添加剤)等を含むことができる。したがって、このような調製用材料の組み合わせとしては、具体的には、例えば、以下の構成が例示される。
(例1)
調製用材料A1:溶射用粒子
調製用材料B1:分散媒
(例2)
調製用材料A2:溶射用粒子と分散媒の一部
調製用材料B2:分散媒の残部
(例3)
調製用材料A3:溶射用粒子
調製用材料B3:分散媒と任意成分(添加剤)
(例4)
調製用材料A4:溶射用粒子
調製用材料B4:分散媒
調製用材料C4:任意成分(添加剤)
ここで任意成分が複数の場合、調製用材料C4は、例えば、任意成分ごとに調製用剤C4n(n=1,2…)を構成していても良い。
このように、ここに開示される溶射用スラリー調製用材料は、溶射粒子、分散媒、分散剤、その他の任意成分等の、溶射用スラリーを構成する各構成成分が、1種類ずつ、あるいは2種類以上の混合物として別パッケージになっていても良い。そして、溶射用スラリー調製用材料は、溶射に供給される前に他の構成成分(他の溶射用スラリー調製用材料であり得る。)と混合して溶射用スラリーを調製してもよい。運搬のしやすさの観点からは、分散媒以外の構成成分を溶射用スラリー調製用材料として一つのパッケージとし、分散媒を溶射用スラリー調製用材料として別のパッケージ(他の溶射用スラリー調製用材料であり得る。)とするのが好ましい。また、例えば、分散媒以外の成分(溶射用粒子および添加剤等の任意成分)は粉末状態(固体)であっても良い。なお、例えば分散媒が水等の容易に入手できる材料からなる場合は、この分散媒については、溶射用スラリーの使用者が独自に入手して用意しても良い。溶射用スラリーの均一性や皮膜の性能安定の面からは、溶射に供給される溶射用スラリーは、溶射粒子がより高濃度に含まれる高濃度スラリーとして調製されていることが好ましい。
以上の溶射用スラリー調製用材料は、溶射用スラリーを調製するための情報を備えていてもよい。この情報としては、溶射用スラリー調製用材料を用いて溶射用スラリーを調製するための調製方法とも理解することができる。例えば、別パッケージになっている各構成成分の混合の手順や、当該溶射用スラリー調製用材料以外に必要となる材料等に関する情報が示されている。また、当該溶射用スラリー調製用材料は供給性指数Ifが70%以上となるよう構成されているが、さらにIf値を高めるための情報が示されていても良い。このような情報は、各構成成分の容器や、これら容器を収納する外装材等に示されていても良い。あるいは、情報が記載された用紙等が、各構成成分の容器とセット(同包)にされていても良い。さらには、この溶射用スラリー調製用材料を入手した使用者が、インターネット等を通じてこれら情報を入手可能な状態とされていても良い。これにより、ここに開示される溶射用スラリー調製用材料を用いて、より簡便かつ確実に、高効率で溶射皮膜を形成することができる。
[皮膜形成方法]
(基材)
ここに開示される溶射皮膜の形成方法において、溶射皮膜が形成される対象たる基材については特に限定されない。例えば、かかる溶射に供して所望の耐性を備え得る材料からなる基材であれば、各種の材料からなる基材を用いることができる。かかる材料としては、例えば、各種の金属または合金等が挙げられる。具体的には、例えば、アルミニウム、アルミニウム合金、鉄、鉄鋼、銅、銅合金、ニッケル、ニッケル合金、金、銀、ビスマス、マンガン、亜鉛、亜鉛合金等が例示される。なかでも、汎用されている金属材料のうち比較的熱膨張係数の大きい、各種SUS材(いわゆるステンレス鋼であり得る。)等に代表される鉄鋼、インコネル等に代表される耐熱合金、インバー,コバール等に代表される低膨張合金、ハステロイ等に代表される耐食合金、軽量構造材等として有用な1000シリーズ〜7000シリーズアルミニウム合金等に代表されるアルミニウム合金等からなる基材が挙げられる。
(皮膜形成方法)
なお、ここに開示される溶射用スラリーは、公知の溶射方法に基づく溶射装置に供することで、溶射皮膜を形成するための溶射用材料として用いることができる。かかる溶射用スラリーにおいては、典型的には、保存等の目的で一定時間以上静置されることで、溶射粒子が沈降を始めて分散媒中に沈殿し得る。したがって、ここに開示される技術における溶射用スラリーは、溶射に供する時点において(例えば、溶射装置に供給するための準備段階において)、上記のとおりの供給性指数Ifが70%以上となるように調製されていれば良い。例えば、溶射に供給される前の、保存状態にある溶射用スラリー(前駆液ともいえる)においては、例えば、溶射粒子がより高濃度に含まれる高濃度スラリーとして調製されていても良い。
この溶射用スラリーを好適に溶射する溶射方法としては、例えば、好適には、プラズマ溶射法、高速フレーム溶射法等の溶射方法を採用することが例示される。
プラズマ溶射法とは、溶射材料を軟化または溶融するための溶射熱源としてプラズマ炎を利用する溶射方法である。電極間にアークを発生させ、かかるアークにより作動ガスをプラズマ化すると、かかるプラズマ流はノズルから高温高速のプラズマジェットとなって噴出する。プラズマ溶射法は、このプラズマジェットに溶射用材料を投入し、加熱、加速して基材に堆積させることで溶射皮膜を得るコーティング手法一般を包含する。なお、プラズマ溶射法は、大気中で行う大気プラズマ溶射(APS:atmospheric plasma spraying)や、大気圧よりも低い気圧で溶射を行う減圧プラズマ溶射(LPS:low pressure plasma spraying)、大気圧より高い加圧容器内でプラズマ溶射を行う加圧プラズマ溶射(high pressure plasma spraying)等の態様であり得る。かかるプラズマ溶射によると、例えば、一例として、溶射材料を5000℃〜10000℃程度のプラズマジェットにより溶融および加速させることで、溶射粒子を300m/s〜600m/s程度の速度にて基材へ衝突させて堆積させることができる。
また、高速フレーム溶射法としては、例えば、酸素支燃型高速フレーム(HVOF)溶射法、ウォームスプレー溶射法および空気支燃型(HVAF)高速フレーム溶射法等を考慮することができる。
HVOF溶射法とは、燃料と酸素とを混合して高圧で燃焼させた燃焼炎を溶射のための熱源として利用するフレーム溶射法の一種である。燃焼室の圧力を高めることにより、連続した燃焼炎でありながらノズルから高速(超音速であり得る。)の高温ガス流を噴出させる。HVOF溶射法は、このガス流中に溶射用材料を投入し、加熱、加速して基材に堆積させることで溶射皮膜を得るコーティング手法一般を包含する。HVOF溶射法によると、例えば、一例として、溶射用スラリーを2000℃〜3000℃の超音速燃焼炎のジェットに供給することで、このスラリーから分散媒を除去(燃焼または蒸発であり得る。以下同じ。)するとともに、溶射粒子を軟化または溶融させて、500m/s〜1000m/sという高速度にて基材へ衝突させて堆積させることができる。高速フレーム溶射で使用する燃料は、アセチレン、エチレン、プロパン、プロピレンなどの炭化水素のガス燃料であってもよいし、灯油やエタノールなどの液体燃料であってもよい。また、溶射材料の融点が高いほど超音速燃焼炎の温度が高い方が好ましく、この観点では、ガス燃料を用いることが好ましい。
また、上記のHVOF溶射法を応用した、いわゆるウォームスプレー溶射法と呼ばれている溶射法を採用することもできる。ウォームスプレー溶射法とは、典型的には、上記のHVOF溶射法において、燃焼炎に室温程度の温度の窒素等からなる冷却ガスを混合する等して燃焼炎の温度を低下させた状態で溶射することで、溶射皮膜を形成する手法である。溶射材料は、完全に溶融された状態に限定されず、例えば、一部が溶融された状態であったり、融点以下の軟化状態にあったりするものを溶射することができる。このウォームスプレー溶射法によると、例えば、一例として、溶射用スラリーを1000℃〜2000℃の超音速燃焼炎のジェットに供給することで、このスラリーから分散媒を除去(燃焼または蒸発であり得る。以下同じ。)するとともに、溶射粒子を軟化または溶融させて、500m/s〜1000m/sという高速度にて基材へ衝突させて堆積させることができる。
HVAF溶射法とは、上記のHVOF溶射法において、支燃ガスとしての酸素に代えて空気を用いるようにした溶射法である。HVAF溶射法によると、HVOF溶射法と比較して溶射温度を低温とすることができる。例えば、一例として、溶射用スラリーを1600℃〜2000℃の超音速燃焼炎のジェットに供給することにより、このスラリーから分散媒を除去(燃焼または蒸発であり得る。以下同じ。)するとともに、溶射粒子を軟化または溶融させて、溶射粒子を500m/s〜1000m/sという高速度にて基材へ衝突させて堆積させることができる。
ここに開示される発明においては、上記の溶射用スラリーを高速フレーム溶射またはプラズマ溶射で溶射すると、比較的粒径の大きな溶射材料を含む場合であってもかかる溶射材料を十分に軟化溶融することができ、また、溶射粒子の含有量の高い溶射用スラリーであっても流動性良く溶射することができ、緻密な溶射皮膜を効率よく形成することができるために好ましい。
なお、溶射装置への溶射用スラリーの供給は、必ずしも限定されるものではないが、10mL/min以上200mL/min以下の流速とすることが好ましい。溶射用スラリーの供給速度を約10mL/min以上とすることで、溶射用スラリー供給装置(例えば、スラリー供給チューブ)内を流れるスラリーを乱流状態とすることができ、スラリーの押出力が増大され、また、溶射粒子の沈降が抑制されるために好ましい。かかる観点から、溶射用スラリーを供給する際の流速は、20mL/min以上であるのが好ましく、30mL/min以上であるのがより好ましい。一方で、供給速度が速すぎると、溶射装置で溶射し得るスラリー量を超過するおそれがあるために好ましくない。かかる観点から、溶射用スラリーを供給する際の流速は、200mL/min以下とするのが適切であり、好ましくは150mL/min以下、例えば100mL/min以下とするのがより適切である。
また、溶射装置への溶射用スラリーの供給はアクシャルフィード方式で行われること、すなわち溶射装置で生じるジェット流の軸と同じ方向に向けて溶射用スラリーの供給が行われることが好ましい。例えば、本発明のスラリー状の溶射用スラリーをアクシャルフィード方式で溶射装置に供給した場合、溶射用スラリーの流動性が良いために溶射用スラリー中の溶射材料が溶射装置内に付着しにくく、緻密な溶射皮膜を効率よく形成することができるため好ましい。
さらに、一般的なフィーダを用いて溶射用スラリーを溶射装置に供給した場合、周期的に供給量の変動が起こるために安定供給が難しくなることが考えられる。この周期的な供給量の変動により、溶射用スラリーの供給量にムラが生じると、溶射装置内で溶射材料が均一に加熱されにくくなり、不均一な溶射皮膜が形成される場合があり得る。そのため、溶射用スラリーを溶射装置に安定して供給するために、2ストローク方式、すなわち2つのフィーダを用いて、両フィーダからの溶射用スラリーの供給量の変動周期が互いに逆位相となるようにしてもよい。具体的には、例えば、一方のフィーダからの供給量が増加するときに、他方のフィーダからの供給量が減少するような周期になるように供給方式を調整してもよい。本発明の溶射用スラリーを2ストローク方式で溶射装置に供給した場合、溶射用スラリーの流動性が良いため、緻密な溶射皮膜を効率よく形成することができる。
スラリー状の溶射用材料を溶射装置に安定して供給するための手段としては、フィーダから送り出されたスラリーを溶射装置の直前に設けられた貯留タンクにいったん貯留し、かかる貯留タンクから自然落下を利用してスラリーを溶射装置に供給するか、あるいはポンプなどの手段によりタンク内のスラリーを強制的に溶射装置に供給するようにしてもよい。ポンプなどの手段で強制的に供給した場合には、タンクと溶射装置との間をチューブでつないだとしても、スラリー中の溶射材料がチューブ内で付着しにくくなるために好ましい。タンク内の溶射用スラリー中の成分の分布状態を均一化するために、タンク内の溶射用スラリーを撹拌する手段を設けてもよい。
溶射装置への溶射用スラリーの供給は、例えば金属製の導電性チューブを介して行われることが好ましい。導電性チューブを使用した場合、静電気の発生が抑えられることにより、溶射用スラリーの供給量に変動が起こりにくくなる。導電性チューブの内面は、0.2μm以下の表面粗さRaを有していることが好ましい。
なお、溶射距離は、溶射装置のノズル先端から基材までの距離が30mm以上となるように設定するのが好ましい。溶射距離が近すぎると、溶射用スラリー中の分散媒を除去したり、溶射粒子の軟化・溶融したりするための時間を十分に確保できなかったり、溶射熱源が基材に近接するため基材が変質したり変形を生じたりするおそれがあるために好ましくない。
溶射距離は、200mm以下程度(好ましくは150mm以下、例えば、100mm以下)とすることが好ましい。かかる距離であると、十分に加熱された溶射粒子が当該温度を保ったまま基材に到達し得るため、より緻密な溶射皮膜を得ることができる。
溶射に際しては、基材を被溶射面とは反対側の面から冷却することが好ましい。かかる冷却は、水冷の他、適切な冷媒による冷却とすることができる。
(溶射皮膜)
以上のここに開示される技術により、溶射粒子と同一の組成の化合物および/またはその分解物からなる溶射皮膜が形成される。
かかる溶射皮膜は、上記のとおり、ゼータ電位の絶対値が200mV以下と溶射粒子の分散状態が良好な溶射用スラリーを用いて形成されている。したがって、溶射粒子は溶射用スラリー中で好適な分散状態および流動状態を維持し、溶射装置に安定して供給されて、均質な溶射皮膜が形成される。また、溶射粒子は、フレームやジェットに弾かれることなく熱源の中心付近に効率よく供給されて、十分に軟化または溶融され得る。したがって、軟化または溶融された溶射粒子は、基材に対して、また互いの粒子間で、緻密かつ密着性良く付着する。これにより、均質性および付着性の良好な溶射皮膜が、好適な皮膜形成速度で形成される。
以下、本発明に関するいくつかの実施例を説明するが、本発明をかかる実施例に示すものに限定することを意図したものではない。
[溶射用スラリー調製]
溶射粒子としては、下記の表1に示す平均粒子径を有するイットリア(Y2O3),アルミナ(Al2O3),フッ化イットリウム(YF3)および各種組成のイットリウムオキシフッ化物(YOF,Y5O4F7,Y6O5F8,Y7O6F9)を用意した。また、分散媒としては、水系の分散媒として蒸留水を、非水系の分散媒として、エタノール(EtOH)とイソプロピルアルコール(i−PrOH)とノルマルプロピルアルコール(n−PrOH)とを85:5:10の体積比で含む混合溶液を用意した。また、任意成分の添加剤として、分散剤および粘度調整剤を用意した。分散剤としては、水系の非イオン性界面分散剤(第一工業製薬(株)製、ノイゲンXL−400)と、非水系の特殊ポリカルボン酸型高分子界面活性剤(花王(株)製、ホモゲノールL−18)と、のいずれかを用いた。粘度調整剤としては、アニオン性特殊変性ポリビニルアルコール(PVOH)(日本合成化学工業(株)製、ゴーセネックスL−3266)を用いた。これらの溶射用粒子と分散媒とは、溶射用粒子の割合が30質量%となる配合比で、異なる容器に収容した状態で用意した。
この溶射用粒子と分散媒とを、分散剤および粘度調整剤とともに表1に示す組み合わせで混合することで、溶射用粒子の割合が30質量%の例1〜27の溶射用スラリーを調製した。なお、本実施形態において、粘度調整剤の配合量は溶射粒子の質量に対して0.1質量%で一定とした。なお、表1中の粘度調整剤の欄の「−」は不使用を意味する。また、分散剤の使用量は、溶射用スラリーにおける溶射粒子の分散状態を見ながら適宜調整し、その使用量を表1の「含有量」の欄に記載した。
[二次粒子形成の有無]
用意した各溶射用スラリー中の溶射粒子について、レーザ回折・散乱式粒子径分布測定装置(株式会社堀場製作所製,LA−950)を用いて、平均粒子径を測定した。そして、溶射用スラリーの調整のために用意した溶射粒子の平均一次粒子径と、スラリー中の溶射粒子の平均粒子径とを比較し、スラリー中の溶射粒子の平均粒子径が1.5倍以上であった場合に、スラリー中で溶射粒子が凝集し、二次粒子を形成していると判断した。そして、溶射粒子が二次粒子を形成していると判断された例について、表1の二次粒子形成の欄に「有」と示し、二次粒子を形成していないと判断された例については「無」と示した。
[粘度]
用意した各溶射用スラリーについて、粘度測定器(リオン株式会社製,ビスコテスタVT−03F)を用い、室温(25℃)環境下、回転速度62.5rpmにおける各溶射用スラリーの粘度を測定した。その結果を表1に示した。
[ゼータ電位]
用意した各溶射用スラリー中の溶射粒子について、超音波方式粒度分布・ゼータ電位測定装置(ディスパージョンテクノロジー社製,DT−1200)を用い、ゼータ電位を測定した。
[供給性指数If]
また、用意した各溶射用スラリーについて、下記の手順で供給性指数Ifを調べた。すなわち、まず、内径が5mmで長さが5mのポリウレタン製チューブ(CHIYODA製 タッチチューブ(ウレタン) TE−8 外径8mm×内径5mm)を高低差なしの試験台の上に水平に配置させ、チューブの一方の端部にスラリー供給用のローラーポンプを取り付け、他方の端部にはスラリー回収容器を設置した。そして、用意した溶射用スラリーを、マグネチックスターラーで撹拌することで溶射粒子の分散状態が良好であることを確認したのち、35mL/minの流速でチューブ内に供給した。その後、チューブを通過した溶射用スラリーを回収容器にて回収し、回収スラリーに含まれる溶射粒子の質量Bを測定した。そして、予め算出しておいた調製後の800mLの溶射用スラリーに含まれる溶射粒子の質量Aと、回収スラリーに含まれる溶射粒子の質量Bとから、次式に基づき、供給性指数Ifを算出し、これらの結果を表1に示した。
If(%)=B/A×100
[溶射皮膜の形成]
上記で用意した各溶射用スラリーを用い、大気圧プラズマ溶射(APS)法により溶射することにより溶射皮膜を形成した。溶射条件は、以下の通りとした。
すなわち、まず、被溶射材である基材としては、SS400鋼板(70mm×50mm×2.3mm)を用意し、粗面化加工を施して用いた。APS溶射には、市販のプラズマ溶射装置(Praxair社製、SG−100)を用いて行った。プラズマ発生条件は、大気圧にて、プラズマ作動ガスとしてのアルゴンガスを100psi、ヘリウムガスを90psiの圧力で供給し、プラズマ発生電力を40kWとするものとした。溶射装置への溶射用スラリーの供給には、スラリー供給機を用い、約100mL/分の供給量で溶射装置のバーナー室に供給した。なお、スラリーを溶射装置に供給するに当たり、溶射装置のすぐ脇に貯留タンクを設置し、調製した溶射用スラリーをこの貯留タンクにいったん貯留した後、かかる貯留タンクから自然落下を利用してスラリーを溶射装置に供給するようにした。これにより、溶射装置のノズルからプラズマジェットを噴射させ、バーナー室に供給した溶射用スラリーを、かかるジェットに載せて飛行させながらスラリー中の分散媒を除去するとともに、溶射粒子を溶融させて基材に吹き付けることで、基材上に皮膜を形成した。なお、溶射ガンの移動速度は600mm/min、溶射距離は50mmとした。
[成膜効率]
各例の溶射用スラリーを溶射して皮膜を形成したときの、溶射粒子の成膜効率(付着効率)を評価した。具体的には、上記の溶射条件で1パス(溶射装置から基材に対して1回溶射を行うことをいう。)あたりに成膜された溶射皮膜の厚さ(μm)を測定した数値である。本実施形態においては、この成膜効率が、1パスあたり2.5μm以上である場合に成膜効率が良いと判断することができる。
表1に示されるように、例1〜16に示されるように、溶射粒子の組成および平均粒子径、配合量(濃度)が同じ溶射用スラリーであっても、該スラリーのゼータ電位が異なることで、成膜効率に大きな差が出ることがわかった。そして、ゼータ電位の絶対値が200mV以下の場合に、成膜効率が2.5μm以上と良好な値となることがわかった。成膜効率が高くなることは、溶射機に供給される溶射用スラリーの流動性および供給性が良好であることを意味する。
また、成膜効率が良好な溶射用スラリーでは、溶射粒子が二次粒子を形成していることもわかった。このことから、ここに開示される溶射用スラリーにおいては、溶射粒子の一次粒子をある程度の大きさに凝集させることで、流動する溶射スラリー中に当該凝集粒子(二次粒子)を安定して分散させるようにしていると考えられる。その結果、ゼータ電位の絶対値が200mV以下の溶射用スラリーでは、供給性指数Ifが70%以上の供給性の良好な溶射用スラリーが得られたことが確認できた。
以上、本発明の具体例を詳細に説明したが、これらは例示にすぎず、特許請求の範囲を限定するものではない。特許請求の範囲に記載の技術には、以上に例示した具体例を様々に変形、変更したものが含まれる。たとえば、上記実施形態では、分散剤および粘度調整剤の種類を固定してゼータ電位を変化させ得るよう溶射用スラリーを調整した。しかしながら、ゼータ電位の調整等に好適な分散剤および粘度調整剤等の添加剤の選定および使用は、当業者であればここに開示された教示と出願時の技術常識とに基づいて理解することができる。